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日本 沖縄辺野古移設問題: 後編

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出典:首相官邸 http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201504/17chiji.html

2016年3月4日、政府・沖縄県が、裁判所が提示した和解案を受け入れることで合意した時の握手。

 

④守屋防衛事務次官と「キャンプ・シュワブ陸上案」等々

米軍再編に伴って、海兵隊基地の本土移転が模索された。だが結局のところ、「沖縄の戦略的重要性」=抑止力維持のために在沖米軍基地並びに海兵隊基地は不可欠であると判断され、2005年5月、日米両政府は海兵隊基地の本土移転を見送ることを正式に決定した。

移設策に関する「白紙的検討」; 数多くの案が対象となった。

1) 辺野古案原案、2) 辺野古基地メガフロート案、3) 辺野古埋め立て縮小案(リーフ内浅瀬案)、4) キャンプ・シュワブ陸上案、5) 嘉手納統合案 etc. (*アメリカの提案ー1) キャンプ・シュワブ陸上案 2) 嘉手納弾薬庫案、3) 読谷補助飛行場案)

嘉手納統合案は度々議論される→棄却される移設案である。新規建設はヘリパッドのみであり、沖縄の負担軽減に貢献しているように見える。だが現実には、市街地に近い嘉手納への移転は事故・騒音問題の悪化を招くと予想された。さらに地元の強硬な反対が予想された。

政府内の検討の結果、2) 辺野古埋め立て縮小案(リーフ内浅瀬案) と 4) キャンプ・シュワブ陸上案に集約される。そして、小泉首相がシュワブ陸上案への一本化を指示するに至った; 守屋防衛事務次官の意向が大いに反映された結果、突き上げられた構想である。

シュワブ陸上案では以下のメリットがあった; はじめに、現行の辺野古沖案よりも工期を数年程度短縮できるーアセスメントの問題。次に、環境保護団体の抗議運動を抑制できる。最後に、既存のキャンプ・シュワブ敷地内での工事となれば、新たな施設提供は必要ない & 反対派は実力行使を抑制しやすい。しかし、以下のデメリットも考えられた; はじめに、地元(名護市等)の反対が大きい。次に、アメリカが反対しているー特に軍事合理性; 安全上・運営上の問題が発生しやすい。

守屋防衛事務次官キャンプ・シュワブ陸上案を強く主張した。町村外務大臣や細野官房長官は、辺野古埋め立て縮小案を支持していた。

岸本市長は、辺野古埋め立て縮小案なら受け入れる余地があるとしていた。

稲嶺知事は、陸上案・浅瀬案共に否定的な見解を示した。

 

⑤額賀防衛庁長官のスーパーマジックーL字案からV字案へ

2005年10月26日、日米両政府は基本合意に達した→29日の中間報告において「キャンプ・シュワブの海岸線の区域とこれに隣接する大浦湾の水域を結ぶL字型に普天間代替施設を設置する」ことが明記された。

これはいわば「辺野古埋め立て縮小案」と「キャンプ・シュワブ陸上案」の折衷案である。しかし、名護市沖縄県共に受け入れを拒否した。おそらく守屋防衛事務次官の意向もあったのだろう; ここから政府は沖縄に対して譲らない強硬路線を採ることになる。

2006年3月8日、名護市ー島袋吉和市長(岸本市長の後継)は「許容範囲」を提示; 事態の改善に歩み寄りの姿勢を見せた。そして19日から政府ー名護市間で協議が始まった。交渉は、額賀防衛庁長官 & 守屋防衛事務次官ー島袋市長 & 末松文信助役で行われた。合意の取り付けは一般的に難しいと考えられていたが、度重なる折衝と修正、防衛庁の土木技術専門家の努力により、4月7日、V字案「普天間飛行場代替施設の建設に係る基本合意書」で合意された; これはX字案からさらに微修正が加えられた案で、離着陸を分けて滑走路を2本作ることで住宅の上空を飛行することを避ける絶妙な構想だった。

政府と沖縄県は5月11日「在沖米軍再編に係る基本確認書」を取り交わした; 稲嶺知事は政府と名護市で合意された修正案に反対だった。「基本確認書」では、政府案を基本としながらも今後も協議を続けていくことが確認された。

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出典:平成18年度 防衛白書 http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2006/2006/figindex.html

 

今日の辺野古基地移設問題の基礎であるV字案はこのようにして完成された。

遡って2006年5月1日、アメリカとV字案を基本とした移設で合意; 「2014年までの普天間飛行場の移設完了」が目標とされた。これに伴い、「普天間飛行場の移設に係る政府方針」(1999年12月)は廃止されることになった。

 

⑥鳩山政権ー県外移設の公約

小泉→安倍政権を経て、福田政権=対話路線へと移行した。この間、北部振興策=お金の問題、でひと悶着があり、小池百合子と守屋事務次官の攻防もあり、「現行のV字案には賛成しない」ことを公約にした仲井眞弘多が沖縄県知事に当選した。一方で、政府は反対派の強制排除も辞さない態度で環境現況調査とアセスメントの手続きを粛々と進めていた。そうした状況の中で起こった驚天動地なる出来事が、鳩山由紀夫を首班とした民主党政権の成立及び「県外移設」の表明である。

1) 鳩山政権の混乱

アクターがたくさんいた; 鳩山首相、平野官房長官、岡田外務大臣、北沢防衛大臣

鳩山首相ー「県外移設」を最後まで引っ張る(2009年9月~2010年5月)、「トラスト・ミー」、「腹案」→断念。

平野官房長官ー「ベターになるかもしれない」(2010年2月20日)事態が膠着した2010年3月頃から、ホワイトビーチの沖合埋め立て、徳之島を検討

岡田外務大臣ー当初は嘉手納統合案を重視→現行計画へと戻る「県外は事実上選択肢とは考えられない」(2009年10月23日)

北沢防衛大臣ー県外・国外は厳しい→現行案への理解「辺野古になっても民主党の公約に違反しているとはいえない」(2009年10月27日

閣内不一致とも呼べる状況から鳩山首相は「2010年5月末決着」を表明し、最終的には5月4日に「抑止力の観点から難しい」と県外移設の断念を表明。

5月28日、日米共同発表において、主旨として2006年5月1日のロードマップに戻ることが決まった。福島瑞穂消費者担当大臣を罷免した。

2) 沖縄の県民感情が燃え上がる

仲井眞知事は「本当にあんなことできると思うかね?」と疑問を呈していたと言われる; 「名護市が受け入れると言っている間に移したほうが現実的だ」と考えていた。

→実際に2010年1月の名護市長選挙で辺野古移設反対を掲げる稲嶺進が当選した。

鳩山政権の「県外移設」表明は沖縄の期待感を非常に高めた。

2月24日には県議会が全会一致で普天間の県外移設を求める決議を採択。

4月25日、読谷村の県内移設を求める県民大会では主催者発表で9万人が参加した。

一部朝日新聞より、「大きいものを生かすために小さいものを殺さないで。それができるのは鳩山さんだけ」「沖縄だけに押しつけるのはおかしいと、一時的にせよ鳩山さんは本気で考えていたはず。問題はそれに耳を貸さなかった日本市民」云々。

現在に至る、「沖縄の不満」は鳩山政権の迷走によって潜在意識から顕在意識へと昇華した。

 

⑦混乱の余韻ー計画の遅れ

計画の遅れはそう簡単に取り戻せるものではない; 2011年5月19日、北沢防衛相(菅政権)が2014年までの辺野古移設断念を表明した。

2012年2月8日、日米両政府は在日米軍再編の見直しを発表した; 「トータルパッケージ」普天間基地移設とグラム移転の切り離しについて議論することで合意した。

オスプレイの配置も問題になっている。2011年6月に政府は沖縄県オスプレイ配備を正式通達した。しかし、2012年4月にはモロッコ、6月にはフロリダ州で墜落を起こしており、防衛省は否定したが、安全性が心配された。そして、オスプレイの外見; 固定翼と回転翼の両機能を持つ故の特殊性は、それを見る沖縄県民に恐怖感を与え、9月9日に行われた県民大会では主催者発表10.1万人・県警推計2.5万人が集まった。オスプレイは10月1日、普天間に6基配備されている。

 

⑧安倍政権と仲井眞 & 翁長知事

2012年12月、自民党が大勝し、安倍晋三が総理大臣へと返り咲いた; 官房長官菅義偉である。

まず、安倍政権が動く。2013年4月5日、日米両政府は嘉手納基地以南にある施設・区域返還計画で合意した。ここで普天間返還は名護市辺野古への移設を条件とし「2022年度またはそれ以後」と明記された。

菅ー仲井眞の歯車が回り始めたのは2013年の夏頃であると回想されている。沖縄基地返還計画の日米合意では地元が強く要請していた商業的価値の高い南部の土地返還を重視した。沖縄振興予算は3000億円を大幅に上回り、他、沖縄の重要要請項目について真剣に取り合う姿勢を見せた。

日本政府としては仲井眞知事に埋め立てを承認してもらう必要があった。

そこで、2021年度まで3000億円以上の沖縄振興予算を確約し、地位協定改定の交渉開始(環境補足協定の締結)等の検討を約束した。これらを「驚くべき立派な内容」として仲井眞知事は評価→12月27日、辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。

埋め立て承認が決定打となったのだろうか; 県民は承認を公約違反であると非難した。2014年1月の1名護市長選挙では稲嶺進が再選、2014年11月、沖縄知事選挙で辺野古移設反対を掲げた翁長雄志が仲井眞弘多を大差で下した。

「埋め立て承認」と「岩礁破砕許可」、沖縄県知事が握る最大権限である。翁長新知事はそれらの取り消しに動く; 2015年1月、翁長知事が埋め立て承認に問題がなかったかを検証する「第三者委員会」を設置した。菅官房長官の「粛々」という言葉を「上から目線である」と反発し、10月13日、米軍新基地建設に伴う埋め立て承認を取り消した。

ここから政府と沖縄県は訴訟合戦に入る。計3つの訴訟が同時進行し互いの歩み寄りは全く見られなかった。2016年3月、訴訟は高等裁判所の和解案を両者が受け入れることで一時休止、しかし、話し合いは不調に終わり7月、政府が翁長知事を提訴、12月、最高裁は国の勝訴を確定させた。

 

現在、辺野古の工事は再開されている。岩礁破砕許可は3月31日をもって期限切れしたが、政府は知事の再許可を不要であると判断した。

政府は「2022年度またはそれ以後」の普天間基地の返還に向けて、急ピッチで移設工事を行っている; すでに現状数年の遅れがあるとされ、見通しは明るくない。安倍ー翁長間の信頼関係は全くないに等しく、今後も反目し合う状況が続くだろう。現状をいかにして打開するか、そもそも打開できるのか; 現実的に考えて何が最善なのか、本土の国民も沖縄県民も考える必要がある。そして政府・県レベルもそうであるが、民間レベルにおける交流をもっと増やしてほしい。

 

同記事は以下の参考文献に大きく依存しています。

森本敏普天間の謎――基地返還問題迷走15年の総て』(海竜社、2010年)。

守屋武昌『「普天間」交渉秘録』(新潮社、2010年)。

・竹中明洋『沖縄を売った男』(扶桑社、2017年)。