北朝鮮 六者協議: 後編

後編では第四回六者協議以降を扱う。

 

③第四回六者協議ー大きな収穫(2005年7月26~8月7日・2005年9月13~19日)

六者協議のハイライトは間違いなく、第四回六者協議と共同声明にある。なぜなら、第五回以降、同会合は膠着状態を迎え、大した進展を見ぬまま萎んでしまったからだ。

当初、2004年9月に予定されていた第四回六者会合だが、2005年7月まで開催が遅れた。まず、北朝鮮が大統領選ウォッチングを決め込んだ; 次に、ライス&ブッシュによる金正日罵倒=「圧政の拠点」「圧政国家」発言があった。北朝鮮が公式では初めて核保有宣言をした。

2005年5月13日、6月6日の2回の米朝接触・折衝を経て7月下旬の六者協議再開が決まった。アメリカが北朝鮮主権国家として認め、侵攻の意思がないことを表明し、北朝鮮がそれを「圧政の前線基地」発言の撤回と解釈した。また、同時期に行われた金正日鄭東泳会談も大きな影響を及ぼした。北と南が核兵器放棄と200万キロワットの電力供給=コード名「安重根計画」で同意した。

首席代表一覧

中国:武大偉外務次官(議長)

アメリカ:クリストファー・ヒル国務次官補

北朝鮮:金桂寛外務次官

日本:佐々江賢一郎外務省アジア太洋州局長

韓国:宋旻淳外交通商部次官補

ロシア:アレクサンドル・アレクセーエフ外務次官

一次セッション(2005年7月26~8月7日)

主な争点は核放棄の範囲=HEUの扱い&原子力の平和利用。中国が数次にわたり草案を提示、北朝鮮以外の五か国は第4次草案で合意したが、北朝鮮軽水炉の供給を求め草案への同意を拒んだため、一時休会となった。

二次セッション(2005年9月13~19日)

北朝鮮の求める軽水炉の供給が鍵となった。中国が示した第5次草案は、全ての核兵器及び「既存の」核計画を放棄することを明記する代わりに、「適当な時期に」北朝鮮への軽水炉提供について議論を行うことが付け加えられた。アメリカは閉幕式に各国別声明を出し解釈について記録を行う事を条件に要求を取り下げた。最終的には部分的に修正された第6次草案で合意した。

  •  第4回六者会合に関する共同声明(外務省)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/ks_050919.html

1. 六者会合の目標は、平和的な方法による、朝鮮半島の検証可能な非核化であることを一致して再確認した。

北朝鮮は、すべての核兵器及び既存の核計画を放棄し、並びに、核兵器不拡散条約及びIAEA保障措置に早期に復帰することを約束した。

・アメリカは、朝鮮半島において核兵器を有せず、北朝鮮に対して核兵器又は通常兵器による攻撃・侵略を行う意図を有しないことを確認した。

北朝鮮は、原子力の平和的利用の権利を有する発言をし、他国はこの発言を尊重する旨述べ、適当な時期に、軽水炉提供問題について議論を行うことに合意した。

2. 六者は、その関係において、国連憲章の目的及び原則並びに国際関係について認められた規範を遵守することを約束した。

・日本・アメリカは国交を正常化するための措置をとることを約束した。

3. 六者は、エネルギー、貿易及び投資の分野における経済面の協力を、二国間又は多数国間で推進することを約束した

・韓国は、北朝鮮に対する200万キロワットの電力供給に関する提案を再確認した。

4. 六者は、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力を約束した。

5. 六者は、「約束対約束」「行動対行動」の原則に従い、調整された措置をとることに合意した。

6. 六者は、第五回六者会合を2005年11月初旬に開催することで合意した。

  •  閉幕式発言 by クリストファー・ヒル

軽水炉提供の「適当な時期」とは、北朝鮮核兵器と核放棄を放棄し、NPTに復帰・IAEAの査察を受け入れた後である。

・この共同声明は、北朝鮮の体制・人権等々受け入れることを意味しない

 

アメリカの閉幕式声明は実質「共同声明」を骨抜きにした。実質、強硬派の意見がすべて組み入れられた無効宣言だった。金桂寛は「全身で怒りを表し」即興でアメリカを強く非難した。共同声明採択は「2年以上に及ぶ六者協議が生んだ最も重要な成果」by 武大偉、であったが早々にほころびが露呈することとなった。

 

第五回六者協議ー無情な現実(一次セッション:2005年11月9~11日)

バンコ・デルタ・アジアの摘発と資金凍結は絶妙なタイミングだった; これは見せしめだろう。「新手の裏口絞殺アプローチ」という見方もある。諸外国に無言の圧力をかけ、北朝鮮の懐からえぐった。当然北朝鮮は非難した。作業部会の設置と工程表の策定が焦点だったが、何一つ進展がなかったと言える。北朝鮮は金融制裁を解除しない限りは、今後六者協議に参加しないと言った。日米は無条件の参加復帰を北朝鮮に要求した。これ以降、北朝鮮は暴走モードに入る。

⑤ミサイルと核実験

2006年7月5日の未明から夕方(現地時間)にかけて7基のミサイル(1基ーテポドン2号、3基ーノドン、2基ースカッド)が短時間の内に相次いで発射された。テポドン2号の発射実験は二段ロケット様式で行われたが、発射42秒後に自損し失敗に終わった; 一方でノドン・スカッドミサイルの実験には成功したと見られた。

ミサイル発射を受けて関係国は警告を強めていたが、2006年10月9日、北朝鮮は核実験を行った。当時、北朝鮮が保持する技術はあまり高くないと考えられていた; 核実験の実施は各国の想定を超えており、アメリカにとっては核移転という新しい懸念材料が大きな現実味を帯びてくる。

結果として、一連のミサイル発射と核実験はアメリカの政策転換を生み出した。アメリカの過去4年間における北朝鮮政策が失敗に終わったという事実が明らかになり、特に中間選挙における共和党の惨敗以降、ブッシュ政権への批判を強まった。強硬路線から柔軟路線への転換・ラムズフェルドボルトン等の退場; ブッシュ政権北朝鮮への圧力を緩め、直接協議にも応じる姿勢を見せるまでに至った。

 

⑥第五回六者協議ー初期段階の措置で合意(三次セッション:2007年2月8~13日)

この頃になると、ブッシュ政権のレガシー作りも考慮に入れる必要がある。

  • 共同声明の実施のための初期段階の措置

北朝鮮

1. 寧辺の核関連施設を60日以内に停止・封印

2. IAEA査察団の受け入れ

3. すべての核計画一覧について協議

アメリカ側

1. 国交正常化のための直接協議を開始

2. テロ支援国家指定の解除する作業を開始

3. 敵国通商法の適用を終了する作業を開始

重油5万トン相当のエネルギー支援を実行

日本は、国交を正常化するための措置をとるため二国間の協議を開始することを約束。

 

関係諸国は寧辺の核関連施設を60日以内に停止・封印する見返りに、重油5万トン相当のエネルギー支援を実行するなど、核廃棄に向けた「初期段階の措置」を盛り込んだ合意文書を採択した。日本は拉致問題という特有の問題を抱えているおり、日本以外の四ヵ国が支援負担を行うことになった。他、5つの作業部会(米朝国交正常化、日朝国交正常化、経済・エネルギー交渉、北東アジアの平和・安全メカニズム、朝鮮半島の非核化)の設置が決まった。

アメリカは 1) テロ支援国家指定の解除作業の開始、2) 高濃縮ウランへの言及を控える、等従来に比べて大きな譲歩をした。

 

⑦第六回六者協議(2007年3月19~22日・2007年9月27~30日)

「初期段階の措置」履行は金融制裁の凍結解除と約2500万ドルの送金確認のため一時停止、北朝鮮は席を蹴り、第六回六者協議一次セッションは休会に追い込まれた。

ロシアの民間銀行への資金が送金される運びとなり、金正日は核施設の稼働停止を宣言→IAEAによって稼働停止が確認され、「初期段階の措置」合意の履行は確認された。

よって、協議は「第2段階の措置」へと移行した。

事前に六者協議首席代表会合で争点の論議が行われたため、第六回六者協議二次セッションでは工程表の作成への道筋を作ることに成功し、合意文書案が各国政府の承認を得て同協議後の10月3日、正式に発表された。

  • 共同声明の実施のための第二段階の措置(外務省)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/6kaigo6_2kjs.html

北朝鮮

1. 2007年12月31日までに寧辺の原子炉・再処理工場・核燃料棒製造施設の無能力化を完了させる。

2. 2007年12月31日までにすべての核計画の完全かつ正確な申告を行う。

3. 核物質、技術及びノウハウを移転しないとの約束を再確認。

アメリカ側

1. 寧辺の原子炉等の無能力化ーテロ支援国家指定を解除&対敵通商法の適用を終了、を並行してコミットメント

2. 合わせて国交正常化するための措置を引き続きとることを約束

+ 重油100万トン(既に供給された10万トンを含む)に相当する規模を限度とする経済、エネルギー及び人道支援の提供

日本は引き続き国交正常化に努力するとされた。

 

問題は"順序"だった; 無能力化が先なのか、エネルギー支援が先なのか、それともテロ支援国家しての解除が先なのか曖昧な表現にとどまった。そしてそれらは合意の履行に支障をきたすことになった。

 

⑧六者協議のはかない夢ー北朝鮮の離脱

六者協議と関係諸国は「第二段階の措置」履行に失敗した; 北朝鮮重油が届かないとして無能力化を停止→履行の期限切れ→テロ支援国家指定を解除&対敵通商法の適用を終了する意向を明らかに→核計画の申告書を提出→検証手続きに関してアメリカと北朝鮮が対立→‥‥‥

同時期、金正日の健康問題も表面化していた; 2008年8月、脳卒中で倒れた。

2009年4月5日、北朝鮮は「人工衛星」と称するロケットを打ち上げる。4月14日、北朝鮮安保理の議長声明に反発し、核兵器開発の再開と六者協議からの離脱を表明した。

2009年5月2日、北朝鮮は2回目の核実験を行った。

以後、六者協議はその役割を果たすことが出来なくなっていった。

‥‥‥

 

以上、六者協議(2003~2007年)のまとめである。

六者協議に関しては事柄がまだ新しいこともあり、資料等の公開が進んでいない。細かいやりとりや駆け引きが必ずしも供述されている訳ではないが、ジャーナリストの記録が理解の最大の手助けとなる。

 

同記事は以下の参考文献に大きく依存しています。

船橋洋一『ザ・ペニンシュラ・クエスチョンーー朝鮮半島第二次核危機』(朝日新聞出版、2006年)。

・斎藤直樹『北朝鮮ーー「終わりの始まり」2001-2015』(論創社、2016年)。

・ドン・オーバードーファー、ロバート・カーリン『二つのコリア――国際政治の中の朝鮮半島』菱木一美訳(共同通信社、2015年)。

・寺林裕介『北朝鮮の核開発問題と六者会合(上)ーー北東アジアにおける多国間枠組みの形成』http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2006pdf/2006070773.pdf#search=%27%E5%85%AD%E8%80%85%E5%8D%94%E8%AD%B0+%E5%8F%82%E8%AD%B0%E9%99%A2%27 (最終アクセス:2017年3月30日)。

・寺林裕介『北朝鮮の核開発問題と六者会合(下)ーー多面的機能を持ち始める六者会合の可能性』。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2006pdf/20060901088.pdf#search=%27%E5%85%AD%E8%80%85%E5%8D%94%E8%AD%B0+%E5%8F%82%E8%AD%B0%E9%99%A2%27 (最終アクセス:2017年3月30日)。