国際情勢~時事ニュース~

韓国、中国、北朝鮮、イギリス、フランス。

 

・韓国ー大統領選挙

先週の時点では「文在寅 VS 安哲秀」という構図だったが、現時点では「文在寅 VS 安哲秀 or 洪準杓」と、安哲秀候補の伸び悩みが目立つ。

韓国紙「毎日経済」とテレビ局MBNの調査によると、次期政権の課題について、経済成長が23.3%で1位、雇用創出が23%で2位だったという。生活者ベースの視点とも言えるが、経済成長が最重要視されている点もポイントだ。

朴槿恵弾劾政局ではサムスンやロッテといった財閥もまた非難の対象になった。しかし、現状韓国経済を牽引するのは大手財閥、そして輸出産業である。

シンクタンク「現代経済研究院」によれば、若者の体感失業率は34.2%に達する。サムスン電子、現代自動車始め財閥系の初任給は30万を超す。一方でそれらは当然ながら狭き門で、中小企業になると1/2~1/3程度となるのだろう。また大企業に入れば競争社会。退職も早い。

鷺梁津、新林には考試院というとりわけ公務員採用を志望する若者が暮らす低家賃の住宅がある。しかし、公務員そのものの倍率が地方初級レベルで46倍だ。

「経済民主化朴槿恵前大統領も公約に掲げた。アジア通貨危機とその後の新自由主義的政策が現在の弊害をもたらしており、社会構造の改革が第一ではないのか。文、安両候補は雇用創出や中小企業支援を訴えているが、小手先のテクニックといった感じが否めない。

改めて、国民は経済成長や雇用創出を求めているとしよう。しかし、国民は"変化"を求めているのかという前提に対する疑問に最近ぶち当たっている。崔順実ゲートと朴槿恵弾劾政局を経てもなお、establishment が力を発揮する。国会の補欠選挙(慶尚北道)は自由韓国党か制した。現在、大邱慶尚道では洪準杓候補の支持率が上がっている。彼は朴槿恵を依然として支持する勢力であるのにも関わらずである。

若者は評判が悪くなろうともサムスン電子(人気1位)や現代自動車(2位)への就職を求める。電通は1→26位までランクダウンしたというのに。もちろん日韓の構造の違いはあれど、ここに韓国の改革機運の鈍さが見られるのである。

私は文在寅候補を応援している。それは単に国会運営の観点故だ。そして政経癒着根絶の機運も逃さないでほしい。

 

・中国ー第19回党大会に向けて

国内の安定が第一だろう。第一四半期の成長率は6.9%とやや上向いた。中国の内政は常に莫大な課題を抱えている。成長の維持、構造改革、雇用創出、農村&貧困問題、腐敗、不動産バブル、退役軍人etc. 外交は内政の延長にあり、今日はいつにも増して安定を必要とされている。米国が北朝鮮に対して緊張を高める中で、中国はアメリカに譲歩しているようにさえ感じる現状。そして大国間関係ではないが、中国が対米関係をかなり重要視していることが確認できた。

政府活動報告は安定重視・人民目線を意識した演説だった。例えば、青空防衛etc. 習近平総書記を核心とする党中央としては、今は事を穏健に進め、人事が固まった後、新たな施策・改革に乗り出す構えだろう。経済政策は政府がある程度作為できる、ただしそれ等が後々に大きなツケとして回ってくる可能性もあるが。

日本や欧米のメディア(TIMEやFinanicial times)は習近平総書記の独裁化を危惧しているが、個人的には栗戦書の説明もまた正しいと感じている。つまり、例えば、国有企業等が誇大化&石油財閥が力を及ぼす中で、動揺する権威を改めて確立したという指摘である。ある種、防御的になされたという「核心」という地位の確立でもあった。四つの全面を軸にした習近平思想なるものが規約化されるかに注目している。

ところで、年末、Next China 7の予想をしたが、他の予想を紹介しておきたい。雑誌「東亜」において、稲垣清は習近平李克強王岐山、汪洋、韓正、栗戦書、張春賢と予想している。確かなことは忘れたが「アジア時報」か別の雑誌で、習近平李克強王岐山、汪洋、李源潮、栗戦書、趙楽際という予想もあった(間違いがあれば訂正します)。高橋博は政治局常務委員9人への増員を予想している。

特に年末からの変化としては、胡春華孫政才の常委入りの可能性低下が挙げられる。個人の意見としては共産党の正統性維持のため、60後の政治家が少なくとも1人常委入りするはずだと思っている。共青団系の胡春華を後継者として確定させたくなければ、孫政才(または陳敏爾)も常委入りするはずだ。そして夏宝龍の異動先も注目ポイントだろう。

 

北朝鮮ーミサイルと核実験

所々で言われているように、アメリカはレッドラインを引くことが出来ないというのが本音だろう。ICBMや核弾頭の発射実験を行ったところで、アメリカが北朝鮮を攻撃できる可能性は低い。4月15日、日本社会はかなりの緊張感を保っていたが、北朝鮮が先制攻撃する可能性もそれこそゼロに近く、ましてや日本を標的にする可能性は考えにくい。それは自らを崩壊に導くことを表す。日本が危機をあおっているという韓国側の非難も一理ある。北朝鮮はほとぼりが冷めたころに核実験を行うだろう。米韓軍事演習は終わった。ティラーソン国務長官マティス国防長官は4月中旬から下旬にかけて中東・アフリカを外遊している。アメリカは中東情勢も改めて考えなくてはならない。

北朝鮮の直近2回のミサイル発射に失敗した。アメリカのサイバー攻撃説や失敗を装った可能性も指摘されている。トランプ大統領が「金正恩はsmartcookieだ」と述べたが、一連の出来事を見て、個人的には、金正恩は合理的な指導者である可能性が高いと考えるようになった。直近2回の実験は妥協だろう。彼個人は新年の辞で「ICBMは発射準備は最終段階にある」等と軍事面で挑発をしたが、その後発言を控えている。挑発的文言は、高官や機関誌によってなされたものばかりである。外交委員会の復活には誤魔化されない方が良いと感じたが、この事実は一種のシグナルとして捉えて良いのではないだろうか。

 

・イギリスー総選挙

ソフトブレキジットという目論見がEUの強硬姿勢によって潰れ、ハードブレキジットに路線変更を余儀なくされたイギリス。ここでテリーザ・メイは度々解散はないと言い続けてきたのにもかかわらず、解散を強行した(もちろん労働党が賛成に回ったので解散が可能になった)。この総選挙はハードブレキジットへと向かうイギリス政府及び保守党の団結力を高める効果を生みそうである。それにしてもメイ首相は狡猾だ。2020年の総選挙は保守党にとって厳しい戦いになることが予想された。ハードブレキジットの影響、構造改革による痛みによる成長の停滞は保守党にとって不利な材料となっただろう。しかし、現状は保守党にとって有利な条件が多い。労働党は内紛状態、UKIPの支持率は低下、EU離脱交渉という選挙の正統性は保守党を勝利に導くことが予想されている。保守党の勝利と共にEU離脱への道筋もまたクリアになっていくのではないか。

 

・フランスー大統領選挙

マクロンとルペンが決選投票に駒を進めた。気になったのは投票傾向である。それは地域主義、北東のルペン vs 南西のマクロン。都市部に強いマクロンと田舎に強いルペン。そして共和党社会党双方からルペンに票が流れたようだ。二大政党が没落した。フィヨンと金銭スキャンダルの罪は大きい。ジュペかサルコジだったらどのような結果だっただろう。マクロンは日本では中道と称されているが、実際は中道左派である。マクロンが勝利すると言われているが果たして。当選後の動向も追っていきたい。

 

参考文献リスト 50

日本

  1. 石川真澄山口二郎『戦後政治史』第3版(岩波新書、2010年)。
  2. 森本敏普天間の謎――基地返還問題迷走15年の総て』(海竜社、2010年)。
  3. 櫻澤誠『沖縄現代史――米軍統治、本土復帰から「オール沖縄」まで』(中公新書、2015年)。
  4. 五百旗頭薫他編『戦後日本の歴史認識』(東京大学出版会、2017年)。
  5. 鈴木美勝『日本の戦略外交』(ちくま新書、2017年)。

 

韓国

  1. 金泳三『金泳三回顧録――民主主義のための私の闘い』全3巻、尹今連監訳(九州通訳ガイド協会、2001~02年)。
  2. 木村幹『民主化の韓国政治――朴正煕と野党政治家たち 1961-1979』(名古屋大学出版会、2008年)。
  3. 金大中金大中自伝』全2巻、波佐場清、康宗徳訳(岩波書店、2011年)。
  4. 崔章集『民主化以後の韓国民主主義――起源と危機』磯崎典世他訳(岩波書店、2012年)。
  5. 大西裕『先進国・韓国の憂鬱』(中公新書、2014年)。
  6. 文京洙『新・韓国現代史』(岩波新書、2015年)。
  7. 国史事典編纂会 金容権編『朝鮮韓国近現代史事典』第4版(日本評論社、2015年)。
  8. 李泳采『アングリーヤングボーターズ――韓国若者たちの戦略的選択』(梨の木舎、2016年)。

 

北朝鮮

  1. 小此木政夫北朝鮮ハンドブック』(講談社、1997年)。
  2. 平井久志『北朝鮮の指導体制と後継――金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫、2011年)。
  3. ドン・オーバードーファー、ロバート・カーリン『二つのコリア――国際政治の中の朝鮮半島』菱木一美訳(共同通信社、2015年)。
  4. 斎藤直樹『北朝鮮「終りの始まり」――2001-2015』(論創社、2016年)。
  5. 玄成日『北朝鮮の国家戦略とパワーエリート』北朝鮮難民救援基金翻訳チーム訳(高木書房、2016年)。
  6. 磯崎敦仁、澤田克己『新版 北朝鮮入門――金正恩体制の政治・経済・社会・国際関係』(東洋経済新報社、2017年)。
  7. 金正恩金正恩著作集』全2巻(白峰社、2014年&2017年)。
  8. 坂井隆、平岩俊司『独裁国家北朝鮮の実像――核・ミサイル・金正恩体制』(朝日新聞出版、2017年)。

 

中国

  1. 楊中美、高橋博『中国指導者相関図』(蒼蒼社、2008年)。
  2. 趙紫陽他『趙紫陽極秘回想録――天安門事件「大弾圧」の舞台裏!』河野純治訳(光文社、2010年)。
  3. 田中修『2011~2015年の中国経済――第12次5カ年計画を読む』(蒼蒼社、2011年)。
  4. 高橋博21世紀中国総研編『中国最高指導者WHO’S WHO――2013-2018年版』(蒼蒼社、2013年)。
  5. デイビット・シャンボー『中国グローバル化の深層――「未完の大国」が世界を変える』加藤祐子訳(朝日新聞出版、2015年)。
  6. アンドリュー・J・ネイサン、アンドリュー・スコベル『中国安全保障全史――万里の長城無人の要塞』河野純治訳(みすず書房、2016年)。
  7. 胡鞍鋼中国の百年目標を実現する第13次五カ年計画』小森谷玲子訳(日本僑報社、2016年)。
  8. 青木俊一郎『朱鎔基総理の時代ーー改革開放の救世主 清正廉明』(桜美林大学北東アジア総合研究所、2017年)。
  9. 国分良成『中国政治からみた日中関係』(岩波現代新書、2017年)。
  10. 毛利和子『日中漂流』(岩波新書、2017年)。
  11. 谷野作太郎『中国・アジア外交秘話――あるチャイナバンドの回想』(東洋経済新報社、2017年)。

 

台湾

  1. 何義麟『台湾現代史――二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』(平凡社、2014年)。
  2. 井尻秀憲『激流に立つ台湾政治外交史』(ミネルヴァ書房、2013年)。
  3. 河原昌一郎『民主化後の台湾――その外交、国家観、ナショナリズム』(彩流社、2016年)。

 

香港

  1. 倉田徹、張彧暋『香港――中国と向き合う自由都市』(岩波新書、2015年)。
  2. 倉田徹『中国返還後の香港――「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会、2009年)。

 

国際政治

  1. 須藤季夫『国家の対外行動』(東京大学出版会、2007年)。
  2. 土山實男『安全保障の国際政治学』第2版(有斐閣、2014年)。
  3. 吉川直人、野口和彦『国際関係理論』第2版(勁草書房、2015年)。
  4. ジョセフ・S・ナイジュニア、デイヴィッド・A。ウェルチ『国際紛争ーー理論と歴史』第10版、田中明彦村田晃嗣訳(有斐閣、2017年)。

 

その他

  1. 大沼保昭、岸俊光編『慰安婦問題という問い――東大ゼミで「人間と歴史と社会」を考える(勁草書房、2007年)。
  2. 高原明生、服部龍二編『日中関係史――1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)。
  3. 木村幹『日韓歴史認識問題とは何か――歴史教科書・「慰安婦」・ポピュリズム』(ミネルヴァ書房、2014年)。
  4. 木宮正史編『朝鮮半島と東アジア』シリーズ 日本の安全保障 第6巻(岩波書店、2015年)。
  5. 木宮正史、李元徳編『日韓関係史――1965-2015 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2015年)。
  6. 服部龍二『外交ドキュメント 歴史認識』(岩波新書,2015年)。
  7. マーク・フィッツパトリック『日本・韓国・台湾は「核」を持つのか?』秋山勝訳(草思社、2016年)。
  8. 和田春樹『アジア女性基金慰安婦問題――回想と検証』(明石書店、2016年)。
  9. 羽場久美子編著『アジアの地域統合を考えるーー戦争をさけるために』(明石書店、2017年)。

 

日本 沖縄辺野古移設問題: 後編

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出典:首相官邸 http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201504/17chiji.html

2016年3月4日、政府・沖縄県が、裁判所が提示した和解案を受け入れることで合意した時の握手。

 

④守屋防衛事務次官と「キャンプ・シュワブ陸上案」等々

米軍再編に伴って、海兵隊基地の本土移転が模索された。だが結局のところ、「沖縄の戦略的重要性」=抑止力維持のために在沖米軍基地並びに海兵隊基地は不可欠であると判断され、2005年5月、日米両政府は海兵隊基地の本土移転を見送ることを正式に決定した。

移設策に関する「白紙的検討」; 数多くの案が対象となった。

1) 辺野古案原案、2) 辺野古基地メガフロート案、3) 辺野古埋め立て縮小案(リーフ内浅瀬案)、4) キャンプ・シュワブ陸上案、5) 嘉手納統合案 etc. (*アメリカの提案ー1) キャンプ・シュワブ陸上案 2) 嘉手納弾薬庫案、3) 読谷補助飛行場案)

嘉手納統合案は度々議論される→棄却される移設案である。新規建設はヘリパッドのみであり、沖縄の負担軽減に貢献しているように見える。だが現実には、市街地に近い嘉手納への移転は事故・騒音問題の悪化を招くと予想された。さらに地元の強硬な反対が予想された。

政府内の検討の結果、2) 辺野古埋め立て縮小案(リーフ内浅瀬案) と 4) キャンプ・シュワブ陸上案に集約される。そして、小泉首相がシュワブ陸上案への一本化を指示するに至った; 守屋防衛事務次官の意向が大いに反映された結果、突き上げられた構想である。

シュワブ陸上案では以下のメリットがあった; はじめに、現行の辺野古沖案よりも工期を数年程度短縮できるーアセスメントの問題。次に、環境保護団体の抗議運動を抑制できる。最後に、既存のキャンプ・シュワブ敷地内での工事となれば、新たな施設提供は必要ない & 反対派は実力行使を抑制しやすい。しかし、以下のデメリットも考えられた; はじめに、地元(名護市等)の反対が大きい。次に、アメリカが反対しているー特に軍事合理性; 安全上・運営上の問題が発生しやすい。

守屋防衛事務次官キャンプ・シュワブ陸上案を強く主張した。町村外務大臣や細野官房長官は、辺野古埋め立て縮小案を支持していた。

岸本市長は、辺野古埋め立て縮小案なら受け入れる余地があるとしていた。

稲嶺知事は、陸上案・浅瀬案共に否定的な見解を示した。

 

⑤額賀防衛庁長官のスーパーマジックーL字案からV字案へ

2005年10月26日、日米両政府は基本合意に達した→29日の中間報告において「キャンプ・シュワブの海岸線の区域とこれに隣接する大浦湾の水域を結ぶL字型に普天間代替施設を設置する」ことが明記された。

これはいわば「辺野古埋め立て縮小案」と「キャンプ・シュワブ陸上案」の折衷案である。しかし、名護市沖縄県共に受け入れを拒否した。おそらく守屋防衛事務次官の意向もあったのだろう; ここから政府は沖縄に対して譲らない強硬路線を採ることになる。

2006年3月8日、名護市ー島袋吉和市長(岸本市長の後継)は「許容範囲」を提示; 事態の改善に歩み寄りの姿勢を見せた。そして19日から政府ー名護市間で協議が始まった。交渉は、額賀防衛庁長官 & 守屋防衛事務次官ー島袋市長 & 末松文信助役で行われた。合意の取り付けは一般的に難しいと考えられていたが、度重なる折衝と修正、防衛庁の土木技術専門家の努力により、4月7日、V字案「普天間飛行場代替施設の建設に係る基本合意書」で合意された; これはX字案からさらに微修正が加えられた案で、離着陸を分けて滑走路を2本作ることで住宅の上空を飛行することを避ける絶妙な構想だった。

政府と沖縄県は5月11日「在沖米軍再編に係る基本確認書」を取り交わした; 稲嶺知事は政府と名護市で合意された修正案に反対だった。「基本確認書」では、政府案を基本としながらも今後も協議を続けていくことが確認された。

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出典:平成18年度 防衛白書 http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2006/2006/figindex.html

 

今日の辺野古基地移設問題の基礎であるV字案はこのようにして完成された。

遡って2006年5月1日、アメリカとV字案を基本とした移設で合意; 「2014年までの普天間飛行場の移設完了」が目標とされた。これに伴い、「普天間飛行場の移設に係る政府方針」(1999年12月)は廃止されることになった。

 

⑥鳩山政権ー県外移設の公約

小泉→安倍政権を経て、福田政権=対話路線へと移行した。この間、北部振興策=お金の問題、でひと悶着があり、小池百合子と守屋事務次官の攻防もあり、「現行のV字案には賛成しない」ことを公約にした仲井眞弘多が沖縄県知事に当選した。一方で、政府は反対派の強制排除も辞さない態度で環境現況調査とアセスメントの手続きを粛々と進めていた。そうした状況の中で起こった驚天動地なる出来事が、鳩山由紀夫を首班とした民主党政権の成立及び「県外移設」の表明である。

1) 鳩山政権の混乱

アクターがたくさんいた; 鳩山首相、平野官房長官、岡田外務大臣、北沢防衛大臣

鳩山首相ー「県外移設」を最後まで引っ張る(2009年9月~2010年5月)、「トラスト・ミー」、「腹案」→断念。

平野官房長官ー「ベターになるかもしれない」(2010年2月20日)事態が膠着した2010年3月頃から、ホワイトビーチの沖合埋め立て、徳之島を検討

岡田外務大臣ー当初は嘉手納統合案を重視→現行計画へと戻る「県外は事実上選択肢とは考えられない」(2009年10月23日)

北沢防衛大臣ー県外・国外は厳しい→現行案への理解「辺野古になっても民主党の公約に違反しているとはいえない」(2009年10月27日

閣内不一致とも呼べる状況から鳩山首相は「2010年5月末決着」を表明し、最終的には5月4日に「抑止力の観点から難しい」と県外移設の断念を表明。

5月28日、日米共同発表において、主旨として2006年5月1日のロードマップに戻ることが決まった。福島瑞穂消費者担当大臣を罷免した。

2) 沖縄の県民感情が燃え上がる

仲井眞知事は「本当にあんなことできると思うかね?」と疑問を呈していたと言われる; 「名護市が受け入れると言っている間に移したほうが現実的だ」と考えていた。

→実際に2010年1月の名護市長選挙で辺野古移設反対を掲げる稲嶺進が当選した。

鳩山政権の「県外移設」表明は沖縄の期待感を非常に高めた。

2月24日には県議会が全会一致で普天間の県外移設を求める決議を採択。

4月25日、読谷村の県内移設を求める県民大会では主催者発表で9万人が参加した。

一部朝日新聞より、「大きいものを生かすために小さいものを殺さないで。それができるのは鳩山さんだけ」「沖縄だけに押しつけるのはおかしいと、一時的にせよ鳩山さんは本気で考えていたはず。問題はそれに耳を貸さなかった日本市民」云々。

現在に至る、「沖縄の不満」は鳩山政権の迷走によって潜在意識から顕在意識へと昇華した。

 

⑦混乱の余韻ー計画の遅れ

計画の遅れはそう簡単に取り戻せるものではない; 2011年5月19日、北沢防衛相(菅政権)が2014年までの辺野古移設断念を表明した。

2012年2月8日、日米両政府は在日米軍再編の見直しを発表した; 「トータルパッケージ」普天間基地移設とグラム移転の切り離しについて議論することで合意した。

オスプレイの配置も問題になっている。2011年6月に政府は沖縄県オスプレイ配備を正式通達した。しかし、2012年4月にはモロッコ、6月にはフロリダ州で墜落を起こしており、防衛省は否定したが、安全性が心配された。そして、オスプレイの外見; 固定翼と回転翼の両機能を持つ故の特殊性は、それを見る沖縄県民に恐怖感を与え、9月9日に行われた県民大会では主催者発表10.1万人・県警推計2.5万人が集まった。オスプレイは10月1日、普天間に6基配備されている。

 

⑧安倍政権と仲井眞 & 翁長知事

2012年12月、自民党が大勝し、安倍晋三が総理大臣へと返り咲いた; 官房長官菅義偉である。

まず、安倍政権が動く。2013年4月5日、日米両政府は嘉手納基地以南にある施設・区域返還計画で合意した。ここで普天間返還は名護市辺野古への移設を条件とし「2022年度またはそれ以後」と明記された。

菅ー仲井眞の歯車が回り始めたのは2013年の夏頃であると回想されている。沖縄基地返還計画の日米合意では地元が強く要請していた商業的価値の高い南部の土地返還を重視した。沖縄振興予算は3000億円を大幅に上回り、他、沖縄の重要要請項目について真剣に取り合う姿勢を見せた。

日本政府としては仲井眞知事に埋め立てを承認してもらう必要があった。

そこで、2021年度まで3000億円以上の沖縄振興予算を確約し、地位協定改定の交渉開始(環境補足協定の締結)等の検討を約束した。これらを「驚くべき立派な内容」として仲井眞知事は評価→12月27日、辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。

埋め立て承認が決定打となったのだろうか; 県民は承認を公約違反であると非難した。2014年1月の1名護市長選挙では稲嶺進が再選、2014年11月、沖縄知事選挙で辺野古移設反対を掲げた翁長雄志が仲井眞弘多を大差で下した。

「埋め立て承認」と「岩礁破砕許可」、沖縄県知事が握る最大権限である。翁長新知事はそれらの取り消しに動く; 2015年1月、翁長知事が埋め立て承認に問題がなかったかを検証する「第三者委員会」を設置した。菅官房長官の「粛々」という言葉を「上から目線である」と反発し、10月13日、米軍新基地建設に伴う埋め立て承認を取り消した。

ここから政府と沖縄県は訴訟合戦に入る。計3つの訴訟が同時進行し互いの歩み寄りは全く見られなかった。2016年3月、訴訟は高等裁判所の和解案を両者が受け入れることで一時休止、しかし、話し合いは不調に終わり7月、政府が翁長知事を提訴、12月、最高裁は国の勝訴を確定させた。

 

現在、辺野古の工事は再開されている。岩礁破砕許可は3月31日をもって期限切れしたが、政府は知事の再許可を不要であると判断した。

政府は「2022年度またはそれ以後」の普天間基地の返還に向けて、急ピッチで移設工事を行っている; すでに現状数年の遅れがあるとされ、見通しは明るくない。安倍ー翁長間の信頼関係は全くないに等しく、今後も反目し合う状況が続くだろう。現状をいかにして打開するか、そもそも打開できるのか; 現実的に考えて何が最善なのか、本土の国民も沖縄県民も考える必要がある。そして政府・県レベルもそうであるが、民間レベルにおける交流をもっと増やしてほしい。

 

同記事は以下の参考文献に大きく依存しています。

森本敏普天間の謎――基地返還問題迷走15年の総て』(海竜社、2010年)。

守屋武昌『「普天間」交渉秘録』(新潮社、2010年)。

・竹中明洋『沖縄を売った男』(扶桑社、2017年)。

 

日本 沖縄辺野古移設問題: 前編

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出典:沖縄県 基地対策課メインページ http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/25185.html

 

橋本・モンデール会談(1996年4月)とSACOの最終報告(1996年12月)から20年以上が経過した。しかし、本日の日経(3月26日)を見ると「辺野古対抗策、時期探る――沖縄知事、承認撤回を明言」とある。筆者は日本の安全保障の最も大きな問題としてこの"普天間基地移設問題と混乱"を認識している。そして見方次第ではあるが、日韓の対立よりも更に大きなギャップが本土と沖縄の間にあるのではないかと感じている。そこで普天間の返還と辺野古への移設を巡る迷走を筆者なりに整理してみようと思う。

前編では、沖縄国際大学ヘリ墜落と2005年SACO最終合意の見直しまで扱う。

 

①沖縄米兵少女暴行事件(1995年4月)~SACO最終合意(1996年12月2日)

1995年9月4日、沖縄本島北部において、キャンプ・ハンセンに駐留する米海兵隊3名による少女暴行事件が発生した:「沖縄米兵少女暴行事件」。日米地位協定の規定が被疑者である米兵の捜査に支障をきたし、抗議活動が頻発・反基地運動と連動、10月21日には宜野湾市で、事件に抗議する県民総決起大会が行われ、主催者発表で8万5000人もの県民が参加した。日本国内の反基地・反米世論の高まりが異常なステージまで発展し、日米政府は何らかのアクションを起こす必要に迫られていた。

10月24日、河野外相とモンデール駐日大使は、新たな協議の場を設置することで合意→沖縄に関する特別行動委員会: SACO(Special Action Commitee on Okinawa)が設置された。日本側のメンバーは折田外務省北米局長、秋山防衛庁防衛局長、米国側のメンバーはジョセフ・ナイ国防次官補、ウィンストン・ロード国務次官補とされた。11月20日に開催された第1回のSACO会合では上記のメンバーに加え、モンデール駐日大使、河野外相、衛藤防衛庁長官が加わり、米軍基地の整理・統合・縮小及び訓練・騒音・安全問題について具体策が検討されることになった; 期限は1年間、結果は両国の閣僚に報告されることが確認された。

元来、普天間飛行場の返還は沖縄の最優先課題ではない; 1993年、沖縄県が決定した「重要三事案」に普天間は含まれず、SACOにおいても当初は議題にも上らなかったという。しかし、「どこからか」出自不明の返還の可能性がささやかれ始め、1996年2月の日米首脳会談: 橋本ークリントンでは米国側のアシストもあり、普天間基地が言及されるまでに至った。3月、主にSACOの作業部会等で調整され、普天間返還の方針が決定された。

1996年4月12日、日本経済新聞の予期せぬスクープもあり、橋本龍太郎首相とモンデール駐日は共同記者会見を行い、「普天間基地の5~7年以内の全面返還」を発表した。15日、SACO中間報告において内容を再確認、16日、日米両首脳は「日米安全保障共同宣言」を発表した。普天間基地を代替施設を探して返還するという日米合意が出来た。運用の都合上、当初から候補地は、1) 嘉手納飛行場、2) 嘉手納弾薬地区、3) キャンプ・ハンセン、4) キャンプ・シュワブ 等、沖縄に絞られている。しかし、それぞれ在日米軍の反対、環境問題、地元の反対により計画は頓挫している。

そこで考え出されたのが、海上ヘリポート基地案である。9月の日米首脳会談では、海上基地案を最有力として検討を続けていくことで一致、1996年12月2日に提出されたSACO最終合意では、

1. 嘉手納統合案、キャンプ・シュワブを選択肢として保持しつつも

2. 海上施設案が、上記2案より優れており最善の選択であると判断される

と明記された。普天間基地返還の枠組みの基礎が形作られた。

 

②移設先を巡る迷走の始まり(1997年1月)~「代替施設の基本計画」策定(2002年7月)

1) 海上施設建設ー名護市 & 沖縄県に齟齬

1997年1月、梶山官房長官は、日米間でキャンプ・シュワブ沖での海上施設建設について合意が出来ていることを明らかにした。4月から海上ヘリポート設置に関する事前調査が始まる。

沖縄県ー大田知事が海上施設案を拒否(→名護市市民投票53%の反対)→正式に受け入れ拒否を表明、本土移設が解決策と要望

名護市ー住民に一部受け入れの姿勢、しかし反対多数(→名護市市民投票53%の反対)→受け入れの表明と比嘉市長の辞任→受け入れ派の岸本市長の誕生

沖縄県名護市には"ギャップ"があった。合意は政府が沖縄県民の頭越しで決定したと非難された。

2) 「海上施設案」の見直し

1998年11月、小渕首相; 就任して3ヶ月、は海上施設案の見直しを表明した。沖縄県からの要望を考慮して、沿岸部の埋め立て案も含め、再度検討することとした。

海上基地建設には高度の技術が必要とされ、沖縄の土木建設業界に利益にならないのである。

首相ー小渕恵三沖縄県知事ー稲嶺恵一、名護市長ー岸本建男

東村、キャンプ・シュワブ(陸上)、キャンプ・シュワブ沖埋め立て、与勝沖合埋め立て、等々様々な移設候補地が浮かび上がったが、最終的に名護市沿岸部が有力とされ、沖縄県や地元経済界は辺野古を最有力候補であることを示唆した。

→1999年11月、稲嶺知事は①軍民両用空港、②15年使用期限という条件を要請しつつも、移設候補地を名護市辺野古崎沿岸域(キャンプ・シュワブ水域内)とすることを正式に表明した。名護市に受け入れを要請し、岸本市長は容認した

→1999年12月、「普天間飛行場の移設に係る政府方針」が閣議決定された。

具体的に代替施設問題について国と県が協議する場として「代替施設協議会」が設けられた。2000年①8月、②10月上旬、③10月下旬、④11月、2001年⑤1月、⑥3月、⑦6月、⑧12月を経て

→2002年7月29日、第9回協議会で「普天間飛行場代替施設の基本計画について」合意された。「代替施設の建設は、埋立工法で行うものとする」と明記された。

すでに橋本ーモンデール合意から6年が経過していた。

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出典:首相官邸 普天間飛行場代替施設に関する協議会ーー第9回代替施設協議会:代替施設基本計画主要事項に係る取扱い方針に基づく検討資料 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hutenma/dai9/9siryou1.pdf

 

③米軍再編と辺野古沖移設の見直しー振り出しに戻る

さて「環境影響評価(アセスメント)」を実施しましょう。しかし、この手続きを進める上で政府と沖縄県が対立した; 国と県どちらが事業主体となるのか。結局、1年以上揉めた後、国がアセスメントを行うことになった。さらに移設反対派による「海上座り込み」をはじめ様々な抗議運動によって、作業は中断・膠着状態を続けた。

首相ー小泉純一郎沖縄県知事ー稲嶺恵一、名護市長ー岸本建男

しびれを切らしたのはアメリカだ; 同時多発テロとそれに伴う米軍再編計画はもちろん在日米軍再編にも直結している。戦略レベルから普天間基地移設問題は再整理され、結果として「トータル・パッケージ」の一部として同問題は捉えられるようになっていた。それはつまり、普天間が動かなければ、再編自体の振興にも支障が出ることを意味した; 沖縄ーグアムーハワイ」という重層的な防衛線強化の上に普天間基地移設問題が乗った。

しかし、日本の国内問題に左右され計画は停滞。2004年2月、ローレス国防次官補代理等は日本に不満を表明し、具体的な打開策を求めた。日本側も危機感を強めていたと言われているが、辺野古沖移設が困難であることも認めざるを得ない状況となっていた。7月、日米審議官協議において、アメリカはSACO最終報告の見直しを申し入れる。同時点において既に日米の懸念はかなり高まっていた。

決定打を与えたのが、2004年7月13日に起こった沖縄国際大学米軍CH-53D大型ヘリ墜落事件である。沖縄では普天間基地の閉鎖を求めるムーブメントが起こる。

2005年に入り、政府は普天間基地移設について言及するようになった→3月28日、小泉首相はSACOの見直しを明言、同問題は振り出しに戻る。

 

北朝鮮 六者協議: 後編

後編では第四回六者協議以降を扱う。

 

③第四回六者協議ー大きな収穫(2005年7月26~8月7日・2005年9月13~19日)

六者協議のハイライトは間違いなく、第四回六者協議と共同声明にある。なぜなら、第五回以降、同会合は膠着状態を迎え、大した進展を見ぬまま萎んでしまったからだ。

当初、2004年9月に予定されていた第四回六者会合だが、2005年7月まで開催が遅れた。まず、北朝鮮が大統領選ウォッチングを決め込んだ; 次に、ライス&ブッシュによる金正日罵倒=「圧政の拠点」「圧政国家」発言があった。北朝鮮が公式では初めて核保有宣言をした。

2005年5月13日、6月6日の2回の米朝接触・折衝を経て7月下旬の六者協議再開が決まった。アメリカが北朝鮮主権国家として認め、侵攻の意思がないことを表明し、北朝鮮がそれを「圧政の前線基地」発言の撤回と解釈した。また、同時期に行われた金正日鄭東泳会談も大きな影響を及ぼした。北と南が核兵器放棄と200万キロワットの電力供給=コード名「安重根計画」で同意した。

首席代表一覧

中国:武大偉外務次官(議長)

アメリカ:クリストファー・ヒル国務次官補

北朝鮮:金桂寛外務次官

日本:佐々江賢一郎外務省アジア太洋州局長

韓国:宋旻淳外交通商部次官補

ロシア:アレクサンドル・アレクセーエフ外務次官

一次セッション(2005年7月26~8月7日)

主な争点は核放棄の範囲=HEUの扱い&原子力の平和利用。中国が数次にわたり草案を提示、北朝鮮以外の五か国は第4次草案で合意したが、北朝鮮軽水炉の供給を求め草案への同意を拒んだため、一時休会となった。

二次セッション(2005年9月13~19日)

北朝鮮の求める軽水炉の供給が鍵となった。中国が示した第5次草案は、全ての核兵器及び「既存の」核計画を放棄することを明記する代わりに、「適当な時期に」北朝鮮への軽水炉提供について議論を行うことが付け加えられた。アメリカは閉幕式に各国別声明を出し解釈について記録を行う事を条件に要求を取り下げた。最終的には部分的に修正された第6次草案で合意した。

  •  第4回六者会合に関する共同声明(外務省)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/ks_050919.html

1. 六者会合の目標は、平和的な方法による、朝鮮半島の検証可能な非核化であることを一致して再確認した。

北朝鮮は、すべての核兵器及び既存の核計画を放棄し、並びに、核兵器不拡散条約及びIAEA保障措置に早期に復帰することを約束した。

・アメリカは、朝鮮半島において核兵器を有せず、北朝鮮に対して核兵器又は通常兵器による攻撃・侵略を行う意図を有しないことを確認した。

北朝鮮は、原子力の平和的利用の権利を有する発言をし、他国はこの発言を尊重する旨述べ、適当な時期に、軽水炉提供問題について議論を行うことに合意した。

2. 六者は、その関係において、国連憲章の目的及び原則並びに国際関係について認められた規範を遵守することを約束した。

・日本・アメリカは国交を正常化するための措置をとることを約束した。

3. 六者は、エネルギー、貿易及び投資の分野における経済面の協力を、二国間又は多数国間で推進することを約束した

・韓国は、北朝鮮に対する200万キロワットの電力供給に関する提案を再確認した。

4. 六者は、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力を約束した。

5. 六者は、「約束対約束」「行動対行動」の原則に従い、調整された措置をとることに合意した。

6. 六者は、第五回六者会合を2005年11月初旬に開催することで合意した。

  •  閉幕式発言 by クリストファー・ヒル

軽水炉提供の「適当な時期」とは、北朝鮮核兵器と核放棄を放棄し、NPTに復帰・IAEAの査察を受け入れた後である。

・この共同声明は、北朝鮮の体制・人権等々受け入れることを意味しない

 

アメリカの閉幕式声明は実質「共同声明」を骨抜きにした。実質、強硬派の意見がすべて組み入れられた無効宣言だった。金桂寛は「全身で怒りを表し」即興でアメリカを強く非難した。共同声明採択は「2年以上に及ぶ六者協議が生んだ最も重要な成果」by 武大偉、であったが早々にほころびが露呈することとなった。

 

第五回六者協議ー無情な現実(一次セッション:2005年11月9~11日)

バンコ・デルタ・アジアの摘発と資金凍結は絶妙なタイミングだった; これは見せしめだろう。「新手の裏口絞殺アプローチ」という見方もある。諸外国に無言の圧力をかけ、北朝鮮の懐からえぐった。当然北朝鮮は非難した。作業部会の設置と工程表の策定が焦点だったが、何一つ進展がなかったと言える。北朝鮮は金融制裁を解除しない限りは、今後六者協議に参加しないと言った。日米は無条件の参加復帰を北朝鮮に要求した。これ以降、北朝鮮は暴走モードに入る。

⑤ミサイルと核実験

2006年7月5日の未明から夕方(現地時間)にかけて7基のミサイル(1基ーテポドン2号、3基ーノドン、2基ースカッド)が短時間の内に相次いで発射された。テポドン2号の発射実験は二段ロケット様式で行われたが、発射42秒後に自損し失敗に終わった; 一方でノドン・スカッドミサイルの実験には成功したと見られた。

ミサイル発射を受けて関係国は警告を強めていたが、2006年10月9日、北朝鮮は核実験を行った。当時、北朝鮮が保持する技術はあまり高くないと考えられていた; 核実験の実施は各国の想定を超えており、アメリカにとっては核移転という新しい懸念材料が大きな現実味を帯びてくる。

結果として、一連のミサイル発射と核実験はアメリカの政策転換を生み出した。アメリカの過去4年間における北朝鮮政策が失敗に終わったという事実が明らかになり、特に中間選挙における共和党の惨敗以降、ブッシュ政権への批判を強まった。強硬路線から柔軟路線への転換・ラムズフェルドボルトン等の退場; ブッシュ政権北朝鮮への圧力を緩め、直接協議にも応じる姿勢を見せるまでに至った。

 

⑥第五回六者協議ー初期段階の措置で合意(三次セッション:2007年2月8~13日)

この頃になると、ブッシュ政権のレガシー作りも考慮に入れる必要がある。

  • 共同声明の実施のための初期段階の措置

北朝鮮

1. 寧辺の核関連施設を60日以内に停止・封印

2. IAEA査察団の受け入れ

3. すべての核計画一覧について協議

アメリカ側

1. 国交正常化のための直接協議を開始

2. テロ支援国家指定の解除する作業を開始

3. 敵国通商法の適用を終了する作業を開始

重油5万トン相当のエネルギー支援を実行

日本は、国交を正常化するための措置をとるため二国間の協議を開始することを約束。

 

関係諸国は寧辺の核関連施設を60日以内に停止・封印する見返りに、重油5万トン相当のエネルギー支援を実行するなど、核廃棄に向けた「初期段階の措置」を盛り込んだ合意文書を採択した。日本は拉致問題という特有の問題を抱えているおり、日本以外の四ヵ国が支援負担を行うことになった。他、5つの作業部会(米朝国交正常化、日朝国交正常化、経済・エネルギー交渉、北東アジアの平和・安全メカニズム、朝鮮半島の非核化)の設置が決まった。

アメリカは 1) テロ支援国家指定の解除作業の開始、2) 高濃縮ウランへの言及を控える、等従来に比べて大きな譲歩をした。

 

⑦第六回六者協議(2007年3月19~22日・2007年9月27~30日)

「初期段階の措置」履行は金融制裁の凍結解除と約2500万ドルの送金確認のため一時停止、北朝鮮は席を蹴り、第六回六者協議一次セッションは休会に追い込まれた。

ロシアの民間銀行への資金が送金される運びとなり、金正日は核施設の稼働停止を宣言→IAEAによって稼働停止が確認され、「初期段階の措置」合意の履行は確認された。

よって、協議は「第2段階の措置」へと移行した。

事前に六者協議首席代表会合で争点の論議が行われたため、第六回六者協議二次セッションでは工程表の作成への道筋を作ることに成功し、合意文書案が各国政府の承認を得て同協議後の10月3日、正式に発表された。

  • 共同声明の実施のための第二段階の措置(外務省)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/6kaigo6_2kjs.html

北朝鮮

1. 2007年12月31日までに寧辺の原子炉・再処理工場・核燃料棒製造施設の無能力化を完了させる。

2. 2007年12月31日までにすべての核計画の完全かつ正確な申告を行う。

3. 核物質、技術及びノウハウを移転しないとの約束を再確認。

アメリカ側

1. 寧辺の原子炉等の無能力化ーテロ支援国家指定を解除&対敵通商法の適用を終了、を並行してコミットメント

2. 合わせて国交正常化するための措置を引き続きとることを約束

+ 重油100万トン(既に供給された10万トンを含む)に相当する規模を限度とする経済、エネルギー及び人道支援の提供

日本は引き続き国交正常化に努力するとされた。

 

問題は"順序"だった; 無能力化が先なのか、エネルギー支援が先なのか、それともテロ支援国家しての解除が先なのか曖昧な表現にとどまった。そしてそれらは合意の履行に支障をきたすことになった。

 

⑧六者協議のはかない夢ー北朝鮮の離脱

六者協議と関係諸国は「第二段階の措置」履行に失敗した; 北朝鮮重油が届かないとして無能力化を停止→履行の期限切れ→テロ支援国家指定を解除&対敵通商法の適用を終了する意向を明らかに→核計画の申告書を提出→検証手続きに関してアメリカと北朝鮮が対立→‥‥‥

同時期、金正日の健康問題も表面化していた; 2008年8月、脳卒中で倒れた。

2009年4月5日、北朝鮮は「人工衛星」と称するロケットを打ち上げる。4月14日、北朝鮮安保理の議長声明に反発し、核兵器開発の再開と六者協議からの離脱を表明した。

2009年5月2日、北朝鮮は2回目の核実験を行った。

以後、六者協議はその役割を果たすことが出来なくなっていった。

‥‥‥

 

以上、六者協議(2003~2007年)のまとめである。

六者協議に関しては事柄がまだ新しいこともあり、資料等の公開が進んでいない。細かいやりとりや駆け引きが必ずしも供述されている訳ではないが、ジャーナリストの記録が理解の最大の手助けとなる。

 

同記事は以下の参考文献に大きく依存しています。

船橋洋一『ザ・ペニンシュラ・クエスチョンーー朝鮮半島第二次核危機』(朝日新聞出版、2006年)。

・斎藤直樹『北朝鮮ーー「終わりの始まり」2001-2015』(論創社、2016年)。

・ドン・オーバードーファー、ロバート・カーリン『二つのコリア――国際政治の中の朝鮮半島』菱木一美訳(共同通信社、2015年)。

・寺林裕介『北朝鮮の核開発問題と六者会合(上)ーー北東アジアにおける多国間枠組みの形成』http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2006pdf/2006070773.pdf#search=%27%E5%85%AD%E8%80%85%E5%8D%94%E8%AD%B0+%E5%8F%82%E8%AD%B0%E9%99%A2%27 (最終アクセス:2017年3月30日)。

・寺林裕介『北朝鮮の核開発問題と六者会合(下)ーー多面的機能を持ち始める六者会合の可能性』。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2006pdf/20060901088.pdf#search=%27%E5%85%AD%E8%80%85%E5%8D%94%E8%AD%B0+%E5%8F%82%E8%AD%B0%E9%99%A2%27 (最終アクセス:2017年3月30日)。

 

北朝鮮 六者協議: 前編

「ザ・ペニンシュラ・クエスチョン」

昨年、北朝鮮で核実験・ミサイル発射が相次ぎ、六者協議は失敗だったかもしれないという専門家の意見が数多く聞かれた。ここで六者協議の成否まで占うことはできないが、事実の確認と復習を行う事にも少なからず意義がある。前編では第三回六者会議までを扱う。

 

六者協議は第一回(2003年8月)~第六回第二セッション(2007年9月)に渡って行われた; 主に北朝鮮の非核化をテーマにした試みである。各国の首脳→アメリカはブッシュ、北朝鮮金正日、中国は胡錦濤、韓国は盧武鉉、日本は小泉純一郎安倍晋三、ロシアはプーチンである。中国が議長を務め、王毅(第三回まで)→武大偉(第四回以降)が担当した。

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写真は、第四回六者協議ー共同声明採択時

出典:人民網 http://en.people.cn/200509/20/eng20050920_209546.html

 

第一回六者協議(2003年8月27~29日)

第二回六者協議(2004年2月25~28日)

第三回六者協議(2004年6月23~26日)

第四回六者協議

 一次セッション(2005年7月26~8月7日)、二次セッション(2005年9月13~19日)

第五回六者協議

 一次セッション(2005年11月9~11日)、二次セッション(2006年12月18~22日)、三次セッション(2007年2月8~13日)

第六回六者協議

 一次セッション(2007年3月19~22日)、二次セッション(2007年9月27~30日)

 

①六者協議始動まで

北朝鮮の第一次核危機は1994年の米朝枠組み合意によって収束に向かい、KEDOが設立された。しかし、北朝鮮の一連の挑発事態(1998~99年)、ブッシュ政権の「北朝鮮政策の包括的見直し」(2001年)は枠組み合意に対する解釈の齟齬を生みだし; 終いにはアメリカのインテリジェンス情報源が、そして公式には2002年10月3日、姜錫柱外務次官が高濃縮ウランの存在を示唆し(※翌日、金桂寛が発言を訂正→北朝鮮外務省も否定)、案の定、アメリカがご立腹。

米朝枠組み合意の基盤は完全に崩壊した。

アメリカは重油供給を停止⇔北朝鮮は核施設の再稼働を宣言・IAEAの査察官を追放→2003年1月10日、北朝鮮はNPT脱退を宣言

第二次核危機が勃発した。

1) 北朝鮮と国際情勢

北朝鮮は1990~98年まで9年連続マイナス成長: 大規模の飢餓=「苦難の行軍」、エネルギー難、外貨の不足、労働生産性の低迷、技術水準。国家崩壊の危機が叫ばれ、国際社会からの支援を必要としていた。

情勢の変化は韓国から; 金大中政権が発足し「包容政策」を打ち出す: 鄭周永と牛。中朝関係にも改善の兆しが見られ、金永南が中国を訪問、2000年5月、金正日総書記の訪中が実現した。翌月、南北首脳会談が成就し、6・15南北共同宣言が締結された。ミスターXと田中均アジア太洋州局長の秘密交渉は2002年9月の日朝首脳会談と平壌宣言という成果を残した。北朝鮮の対外政策は開放的となり、周辺諸国との緊張緩和が実現した。

2001年9月11日の悲劇はアメリカを変えた。アフガニスタンイラク、中東政策に重きを置かざるを得なくなった。悪の枢軸呼ばわりした北朝鮮ではあるが、情勢は有事をより避けるべき選択肢と変化させた。

問題は米朝の話し合いをバイで行うかマルチで行うかという主張の食い違いだった; 北朝鮮は2国間を望み、アメリカは多者を条件とした。

2)米中朝三者協議(2003年4月23~25日)

ABC(Anything but Clinton); ブッシュ政権クリントン時代に米朝枠組み合意に纏わる不愉快な経験から、北との直接対話を痛み嫌っていた。一方で北朝鮮は、核に関する交渉を米朝間の問題とみなし直接対話にこだわっていた。結果、妥協策として行われたのが、米中朝三者協議である。

アメリカの主張: CVID(Complete, Verifiable and Irreversible Dismantlement)=完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄

北朝鮮の主張: 国交正常化、経済支援、米朝不可侵条約の締結

成果は元から期待されていなかったと言える。李根外務省米州副局長は核保有宣言と核移転発言によってアメリカを"脅そう"とした。このような北朝鮮の行動(協議前の挑発行動・協議中の脅迫めいた発言; 一般に瀬戸際政策と呼ばれる)はもはや様式美とも言える。

 

②第一回・第二回六者協議(2003年8月27~29日・2004年2月25~28日)

六者協議が始動に成功した要因はアメリカの覚悟と中国の説得にある。中国はアメリカが中東で見せた圧倒的軍事力に脅威を感じており、中国の関与という要請という名の圧力が北朝鮮の参加説得というインセンティブを生み出していた。ブッシュ大統領は小泉・盧を排除した三者協議を苦々しく思っており、政権中枢も次は多国間(5、6 or 10ヵ国)であると理解していた。多国間協議に向けたせめぎ合いは2003年7月31日、米朝が接触→六者協議を開催することで決着を見た。

首席代表一覧

中国:王毅外務次官(議長)

アメリカ:ジェームズ・ケリー国務次官補

北朝鮮金永日外務次官→金桂寛外務次官

日本:薮中三十二外務省アジア太洋州局長

韓国:李秀赫外交通商部次官補

ロシア:アレクサンドル・ロシュコフ外務次官

第一回・第二回六者会議の特徴; 六者協議を彩る様々な"構図"が共有された

六者協議は過去に例がないアジアにおける多国間協議であり、進行手順から全てにおいて先が読めない交渉だった。その中で各国、米朝対立の構図を確認し、様々なアクターと影響力について理解した。

米朝の対立の構図

1) 同時(simultaneous)or 順序立てて(step by step, sequential)

北朝鮮は核の「凍結」とそれに見合う「補償」の同時決着方式を主張; アメリカは核の「廃棄」とその後の問題討議及び「補償」の核廃棄先行論を主張した。

2) HEU(高濃縮ウラン保有、核の平和利用

 アメリカはHEUの存在していると判断・核の完全廃棄を主張、北朝鮮はHEUの存在を否定・核の平和利用の権利を主張。

米国内における関与派と強硬派

1) 国務省(パウエル・アーミテージ)と国防総省(チェイニー・ラムズフェルド

2) 地域屋(グリーン・モアリティー)と不拡散屋(ボルトン・ジョセフ)

前者は「枠組み合意」の修正、六者協議の継続、妥協と共同声明を重視する一方、後者は「枠組み合意」の破棄、六者協議の中止、固執と妥協拒否を主張した。

第一回・第二回六者協議では、アメリカ・北朝鮮共に原則論を繰り返し、目立つ成果を得ることが出来なかった。主に以下の内容確認されている; 第一回、第二回共に共同文書の策定は見送られ、議長総括という形で口頭発表された。

核兵器のない朝鮮半島と言う目標

・状況を悪化させる行動をとらないこと

・協議の継続と問題解決へのコミットメント

 

② 第三回六者協議ー少しばかりの進展(2004年6月23~26日)

パキスタン政府とA・Q・カーンの証言が第二回六者協議後に行われた作業部会を紛糾させた。アメリカはHEUに対する主張の裏付けが為されたとして、北朝鮮にHEUの存在を認めるよう迫ったが、北朝鮮代表団は激しく反発した。一方で、米朝除く四ヵ国は程度に違いはあれど、HEUの存在に疑問を呈し、特に中露は、アメリカ側から十分な証拠が提示されていないとして、アメリカに同主張を取り下げるべきだと意見した。日本は米国にべったりであったが、韓国は同問題に対して「あいまいな姿勢」をとり続けた。問題は原則論を堅持することがもたらす悲観的観測であり、関係国はアメリカに柔軟な対応を求めるよう再三にわたり示唆したとされる。

第三回六者協議はブッシュ政権が憂慮に多少の配慮と軟化の姿勢が見られたことから開催が決定されたという背景があった; 放棄の前段階としての「凍結」に一定の理解を示し、CVIDへの言及を控え表現を和らげた。約半年後に大統領選が控えており、北朝鮮問題が失点となることを避けたかった。同会合では、北朝鮮案と米国案が提示され「核放棄の範囲と方法」(特に補償措置が先か、核放棄が先かという問題)「核凍結の範囲とそれ相応の措置」(ウラン計画・核の平和利用が含まれるのか否かと言う問題)について議論された。評価としては、少しばかりの進展ー閉塞感が打破され、実質的な協議と歩み寄りが見られた一方、重大な部分での意見の相違; つまり上記で議論された2つの主要な困難が依存として露呈していた。成果は初めて議長声明という形で残された。

 

北朝鮮 金正恩と国家思想

北朝鮮の内政とは如何なるものか。本来は労働新聞等を読み、その国家思想を読み解くべきだろう。しかし、それらの研究は私の能力を超えるいるので、まず手引き書として『金正恩著作集』『金正恩著作集2』を読んでみた。

 

キーワード:金日成金正日主義、金正日愛国主義、経済建設と核武力建設の並進路線、咸南の炎、江界精神(→江原道精神)、千里馬運動(→万里馬速度)、馬息嶺速度、延吉爆弾精神

 

権力基盤に乏しく、白頭の血統という正統性に依存している金正恩体制のスタートが「金正日総書記を永遠に高くいただき総書記の遺訓を貫徹しよう」(2011年12月31日)であったことはある意味当然のことである。総書記の死後しばらくは、金正日総書記の個人崇拝・偶像化の強化に努めた(総書記の偉業を称え、金正日愛国主義を強調)。全社会の金日成金正日主義化という素晴らしい綱領を発明し、金日成主席のチュチェ思想金正日総書記の先軍思想の貫徹を訴えた。

この5年を前期・後期に分けてみると、前期では、金日成主席・金正日総書記の遺訓貫徹と継承に力を入れている場面が目立つであろうか。後期においては、全社会の金日成金正日主義化に加え、新たな色を加えようとしているようにも見えなくはない。しかしそれらは、万里馬速度や江原道精神であり、模倣品に留まる。

 

著作集は想像にも増して芸がない; というのも、新たな金正恩思想なるものが展開されている訳ではなく、ただ先人たちの偉業を引き継ぎ、貫徹をすることを主張することに留まっているからだ。○○しなければならない/○○すべきだ、という文章が永遠と続き、欠伸をしてしまう(→粛清された)のも理解できる内容である。

 

一般的な演説の流れは以下の通りであると理解した。

1. 金日成主席が、創造し指導した思想と業績を称える

2. 金正日総書記が、思想と業績を固守し進化させた偉業を称える

3. 金日成主席と金正日総書記を永遠にあおぐ→全社会の金日成金正日主義化

4. すべての部門、すべての単位で○○しなければならない/○○すべきだ。

5. わが党は百戦百勝・必勝不敗である

 

著作集からは、金正恩体制が非常に白頭山三大将軍の血統に正統性を負っているという当たり前のことが分かった。さらに言えば、現代人の感覚からは違和感あふれる内容・異常性ばかりが感じ取られた。権力継承から5年が経過したが、大枠を超えた方向性について著作集から何一つ感じ取ることが出来なかった事は残念である。

 

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朝鮮労働党第七回大会でおこなった中央委員会の活動報告(2016年5月6日、7日)

 朝鮮労働党第七回大会は、全社会の金日成金正日主義化の旗じるしを高くかかげて、わが党をさらに強化し、社会主義強国の建設とチュチェ革命の最後の勝利をはやめるうえで歴史の分水嶺となるでしょう。

一、チュチェ思想先軍政治の偉大な勝利

 チュチェ思想は世界的な大政治風波と重なる困難のなかで朝鮮革命をチュチェの道に導いてきた百戦百勝の旗印

 先軍政治はわが党と人民が難局を打開して歴史の奇跡を生み出せるようにした勝利の宝剣

(1)社会主義偉業の勝利的前進のためのたたかい

(2)強盛国家建設でなしとげた誇らしい成果

  • 一心団結の政治思想強国、不敗の軍事強国
  • 経済建設と文化建設

(3)革命偉業の輝かしい継承

金日成同志と金正日同志をわが党と人民の永遠なる領袖として高くあおぎ…

二、社会主義偉業の完成のために

(1)全社会の金日成金正日主義化

(2)科学技術強国建設

科学技術が経済強国の建設で機関車の役割を果たすべき

(3)経済強国建設、人民経済発展戦略

  • わが国は堂々と政治軍事強国の地位を占めましたが、経済部門ではまだ相応の水準に達していません
  • 人民経済の自立化と主体性を全面的に強化
  • すべての生産工程を自動化、知能化し、工場、企業を無人化する
  • 人民経済の各部門における科学技術と生産の一体化

国家経済発展五ヵ年戦略(2016~2020年)

 国家経済発展五ヵ年戦略の目標は、人民経済全般を活性化し、経済部門間のバランスをとって、国の経済を持続的に発展させるために土台をきづくこと。

  1. 電力問題の解決
  2. 石炭鉱業と金属工業、鉄道運輸部門の発展
  3. 機械工業、化学工業、建設部門と建材工業部門の転換
  4. 農業と水産業軽工業部門は人民生活向上の突破口をひらくべき
  5. 国土管理事業を力強く展開
  6. 環境保護事業を改善
  7. 対外経済関係を発展

(4)文明強国建設

  • 教育事業の発展
  • 保険医療事業の発展
  • スポーツ強国を建設
  • 社会主義文学芸術の全面的開花
  • 道徳的紀綱の確立

(5)政治的軍事的威力の強化

  • 党と人民大衆の渾然一体をいっそう強固にすべき
  • 人民軍の任務
  • 国防工業の発展

三、祖国の自主的統一のために

(1)祖国統一の三大綱領

  • 祖国統一十三大原則
  • 高麗民主連邦共和国創立法案
  • 全民族十大綱領

(2)六・一五宣言と十・四宣言

祖国統一の焦眉の問題は、北南関係を根本的に改善すること

(3)アメリカ―時代錯誤的な対朝鮮敵視政策

(4)対話と教商

 対話と協商は、北南関係で提起される問題を民族の念願と意思に即して解決するための基本的方途です。

四、世界の自主化のために

(1)帝国主義反動勢力との対立と闘争

アメリカ帝国主義

(2)世界の自主化を実現

帝国主義、支配主義勢力の侵略と内政干渉に反対

(3)非同盟運動の強化発展

(4)自主的な対外政策

  • 保有国の地位にふさわしい外交
  • 先軍の威力によって地域と世界の平和と安全を守らなければなりません
  • わが共和国の国際的影響力をさらに高め…

五、党の強化発展のために

 朝鮮労働党は革命的党建設の新たな境地をきり拓き、偉大かつ尊厳のある金日成金正日主義党として強化発展し、チュチェ革命偉業を輝かしい勝利の道に導きました。

  • ハンマーと鎌、筆
  • 形式主義の古い枠をやぶり、当活動で革新をおこさなければなりません
  • 権柄と官僚主義、不正腐敗運動とのたたかい
  • 党の指導的役割
  • 金日成金正日主義を唯一の指針
  • 党組織の役割
  • 党の思想活動を根本的に転換

自主性をめざす人民大衆の聖なる偉業、金日成金正日主義党の偉業は必勝不敗。