中国 「一帯一路フォーラム」

北京で「一帯一路フォーラム」が開催されました。G7で首脳が参加したのはイタリアだけだったものの、ロシア・トルコ・ASEAN諸国を中心に29ヶ国の指導者が参加、約130ヶ国が代表団を派遣し、国連事務総長世界銀行総裁も名を連ねた。アメリカも直前に代表団派遣を決定し、日本からは二階俊博幹事長等が参加した。

「一帯一路フォーラム」は今年、中国が最重要視する外交イベントと位置付けられていて、成功が義務付けられていた国際会議であったと言える。開幕直前に北朝鮮がミサイルを発射・しかも約30分間飛行したということで、メンツは潰され・報道は希釈されるハプニングがあったが、全体としては万事順調・中国の報道は一帯一路一色であり、習近平国家主席指導力が如何なく発揮されたことを国民に示すことが出来た。第19回共産党大会に向けて、素晴らしいスタートダッシュである。

 

そして個人的に2点、大袈裟に言うと衝撃を受けた。

 

1. はじめに、「中国はもはや先進国である」ということである。

細かい定義を無視することを条件に、先進国を大国もしくは地域覇権国と言い換えても良い。もちろん、農村(国内)を鑑みれば、中国は一部発展途上国のレベルに留まる。しかし、これほどの国際会議をどのくらいの国々が主催できるかということを考えてほしい。日本やドイツでも難しいのではないか。ADBは影響力を減少させ、AIIBが勢いを増してきている。2010年に中国は世界GDP2位になった。そして今や、毎年の政府活動報告は、オーストラリアのメディアに自国の政治・経済よりも大切であると言わしめるまで重要性を帯びている。世界の成長の数十パーセントを中国が牽引しているという事実は数年前から明らかであった。

しかし、昨年G20を成功裏に終えたとはいえ、中国自身が枠組みを作り・主催する国際会議の成功という結果は、誇張を承知で言うと、パワーシフトの始まりとも解釈できる。これまでS. ストレンジの言う「構造的パワー」という意味ではアメリカが世界を牛耳ってきた。しかし、そこに今中国が加わろうとしている。国際秩序は新たなステージを迎えているのかもしれない; 良し悪しはともかく、アメリカ1強から本格的にG2へと移行する転換期なのかもしれない。

 

2. 上記と関連する事柄として、アメリカと日本がAIIBに参画するシグナルを送り始めたという事である。

アメリカはTPPから離脱を宣言し、100日計画の途中経過と成果を発表→「一帯一路フォーラム」に代表団を派遣することを決定した。従来のD. トランプの公約とは何だったのかという変貌ぶりで、AIIBに参加することも厭わない方針のように見える。

そして、日本でもAIIBに対する姿勢に変化が見られるようになってきた。二階さんは従来からAIIBに参加しても良いと言う立場であったが、少なくとも政府は慎重な立場を崩していなかった。もちろん今でも、"慎重"であると言えるのであるが、「条件が整えば」という言葉に込められてるニュアンスから、参加のハードルを下げたコメントが最近発信源から報じられているのである。

例えば、安倍首相はCNBC・BSジャパンのインタビューで「疑問点が解消されれば前向きに考える」と述べた。林芳正農水相は「今まではガバナンスが効いている・検討すべき」と発言している。事例が多数あるわけではないが、方針を転換させる空気が醸し出されている。今まで解釈次第ではあるが、安倍政権は中国を封じ込める外交を行ってきた; 安保ダイヤモンド構想やTRIMは一種の中国包囲網でもあった。しかし、もしAIIBに参画するとなれば、これらの外交方針は一部軌道修正が図られたと判断しなければならない、そういった意味で衝撃なのである。

 

・まとめー日中関係の今後の行方は?

二階幹事長は中国でかなりの好待遇を受けていたように感じました。「一帯一路フォーラム」閉幕後とはいえ、習近平国家主席との会談をセッティングされた。また中国の報道では、二階幹事長の中国訪問がかなりフォーカスされている; 公式的には彼は副首相級であり、日本では控えめな報道がなされているのと対照的である。安倍首相及び官邸は内政の諸事情を考慮に入れなければならない訳で、むやみに妥協したようなイメージを持たれるのはマイナスイメージである。そういった意味で報道が多少抑えめになるのは仕方ないと思うが、地味に阿吽の呼吸が出来ているのではないか?というのも気になるポイントだ。楊潔篪国務委員の訪日とその後の動向次第では日中関係も大きな転換期となるのかもしれない。今年ー日中共同声明45周年であり、来年ー日中平和友好条約40周年を迎える。つまり、安易な結論を出すならば"融和"が予想されるが、そう首尾よく事が運ばない諸条件を併せ持つのが日中関係であるとも言える。

 

韓国 文在寅大統領

大方の予想通り、文在寅が大統領になりました。

情報を追加し、所見を述べます。

 

1、選挙結果について

所々で「地域主義の時代が終わった」との論評を見たような気がしますが、僕自身は保留としておきたい。確かに三金(YS DJ JP)の時代と比べ、地域主義の影響は弱まっているといえるが、"この御時世においても"大邱慶尚北道では洪準杓(自由韓国党)が一定の差をつけて1位になっている。そして、湖南における洪準杓の支持は数パーセントにしか満たない。ただ長期的な流れとして、三金という個人の影響力がそがれていき、地域主義色が薄れていくことはまず間違いないと見てる。

実は自由韓国党もこの大統領選挙の勝利者と言えるかもしれない。彼等は次回の選挙が2020年であることを見通し、あくまで受動的な立場から今回の大統領選挙に臨んだはずだ。もし候補者を擁立できない or 劉承旼(正しい政党)に負けるといった事態が起きたならば、政党=保守の瓦解が見込まれた。しかし彼等は94議席に見合う得票率を得、見事2位まで上り詰めた

一方、安哲秀(国民の党)は中途半端に終わった。どの年代・地域においても彼はナンバー1となり得なかった。まず、金大中派と国民の党の基盤である全羅道文在寅(共に民主党に完敗しているようでは手合い違いである。昨年の総選挙では国民の党が大勝した地域だ。そして、地域別ではこの光州・全羅南道における30%というのが最多となっている。安哲秀はどの地域においても大よそ15%以上の支持を集めた; もっとも文在寅は全地域で20%以上の得票率を得ている。前回の大統領選挙では安哲秀旋風を巻き起こし、主に若者・大学生から絶大の支持を集めたと言われていたが、5年後の今、彼は20代(17.9%)から最も支持を得られなかった。そして、それらの支持は劉承旼(13.2%)と沈相奵(12.7%)に流れた。

劉承旼と沈相奵(正義党)は共に6~7%前後の得票率で敗退している。地味に興味深いのは沈相奵が全地域で4%以上の支持を集めたことである; そして、最低が既存の革新勢力が強い全羅南道の4.01%というのも皮肉な結果と言えようか。両者ともTV討論で比較的評価を得た候補だった; その結果が上で述べた20代の高評価につながったのかもしれない。ただ、特に沈相奵に流れた票はまともな候補者がいないといった消極的な投票行動の結果である可能性も考えられる。

60代・70代以上は洪準杓を支持した。しかし、今回の選挙においては50代まで文在寅を支持し、従来よりも進歩勢力の支持範囲を伸ばした。現状の若者の就職難が親世代に影響を与えたのかもしれない; ここで気にかかるポイントは、朴槿恵スキャンダルが人々の投票において第一義的な影響を与えたのか否かという点であるが、YesともNoとも言いかねる絶妙な結果がでた。この点については専門家の意見・研究を待ちたいと思う。

 

2、文在寅という人物評に関して

特に、大統領選挙当日から当選後2日にかけては、日本の新聞も文在寅新大統領誕生を今まで以上に大きなトピックとして報じていたような気がする。正直、ここまで熱くなる必要があるかと思っていたが、12日金曜日辺りから一気に分量が減った。今度はここまで一気に冷めるものなのかと感じた。TVは面白おかしく報じているケースも多い; 文在寅の家と間取りまで報じる必要はないでしょう。

産経新聞は報道姿勢として非常に"楽"だったのではないか。まず左派政権が見込まれ、妥協姿勢を見せようとも、彼らのお眼鏡には進歩勢力であることに変わりがないため批判一色に染めることが出来る。僕も例えば、新しく秘書室長に任命された任鍾晳氏について全く知らず、今日昨日の報道に依存する訳であるが、彼はなかなかの左派である。流石に林秀卿の北朝鮮派遣に関わったとなると、本物の左派認定をせざるを得ない。

日本でトピックになる慰安婦問題北朝鮮政策に関しては、専門家の方々が大枠で一致した考えを持っているようだ。つまり、慰安婦問題に関しては、解決及び今後の方向性を決めるのに一定の時間が必要→はじめに慰安婦合意の検証委員会を立ち上げるのではないかという考えが優勢であり、北朝鮮政策については、早々に南北首脳会談を開催することは難しい、THAADに関しても一方的に撤回を決断づけるにはリスクが高いと思われるという意見が多数派である。北朝鮮政策に関しての注目点は、いわゆるムーンライトポリシー(文=Moon-light policy)なるものが; つまり文在寅大統領がどこまで自主性を発揮しようとするかである。そして、側近含め左派勢力の影響力と保守陣営の反発にいかに対処するか北朝鮮政策に関しては折衝・舵取りが難しい。

今のところは順調な滑り出しを見せているようにみえる。Anything but 朴槿恵の方針は世論の広範な支持を得られるからだ。秘書官と昼食を食べます、食堂でも食事をとります、上着は自分で脱ぎます、仁川空港で関係者と対話を行いますetc。まだ就任5日であり、保守と進歩が分裂するような爆弾を放り投げることはしていない。就任後すぐ、鄭宇沢院内代表(自由韓国党)と会い、統合を求めた。国会運営には自由韓国党のサポートがほぼ不可欠であると言える; 共に民主党+国民の党+正しい政党でも180議席に満たないからだ。

崔順実ゲートから大統領選挙まで、韓国国民はそして一部の日本メディアのダイナミックコリアにかなり沸いたが、大切なのは文在寅大統領がどのような政策を実際に行っていくのかという事である。トランプ大統領の誕生が現実味を帯びるに連れ、報道は彼のAmerican Firstに大きな懸念を示したが、トランプ大統領は中国の製品に45%の関税のかけていない。彼が選挙中にある種の公約として発した政策の中にはすでに撤回(?)されたものもある。文在寅大統領についても、もちろん彼の政策志向・イデオロギー的側面に目を向けることは大切であるが、改めて事の本質は彼がどのような政策を実行するのかということである。文在寅大統領が内政の諸矛盾を解決できることを望んでいる。

 

国際情勢~時事ニュース~

韓国、中国、北朝鮮、イギリス、フランス。

 

・韓国ー大統領選挙

先週の時点では「文在寅 VS 安哲秀」という構図だったが、現時点では「文在寅 VS 安哲秀 or 洪準杓」と、安哲秀候補の伸び悩みが目立つ。

韓国紙「毎日経済」とテレビ局MBNの調査によると、次期政権の課題について、経済成長が23.3%で1位、雇用創出が23%で2位だったという。生活者ベースの視点とも言えるが、経済成長が最重要視されている点もポイントだ。

朴槿恵弾劾政局ではサムスンやロッテといった財閥もまた非難の対象になった。しかし、現状韓国経済を牽引するのは大手財閥、そして輸出産業である。

シンクタンク「現代経済研究院」によれば、若者の体感失業率は34.2%に達する。サムスン電子、現代自動車始め財閥系の初任給は30万を超す。一方でそれらは当然ながら狭き門で、中小企業になると1/2~1/3程度となるのだろう。また大企業に入れば競争社会。退職も早い。

鷺梁津、新林には考試院というとりわけ公務員採用を志望する若者が暮らす低家賃の住宅がある。しかし、公務員そのものの倍率が地方初級レベルで46倍だ。

「経済民主化朴槿恵前大統領も公約に掲げた。アジア通貨危機とその後の新自由主義的政策が現在の弊害をもたらしており、社会構造の改革が第一ではないのか。文、安両候補は雇用創出や中小企業支援を訴えているが、小手先のテクニックといった感じが否めない。

改めて、国民は経済成長や雇用創出を求めているとしよう。しかし、国民は"変化"を求めているのかという前提に対する疑問に最近ぶち当たっている。崔順実ゲートと朴槿恵弾劾政局を経てもなお、establishment が力を発揮する。国会の補欠選挙(慶尚北道)は自由韓国党か制した。現在、大邱慶尚道では洪準杓候補の支持率が上がっている。彼は朴槿恵を依然として支持する勢力であるのにも関わらずである。

若者は評判が悪くなろうともサムスン電子(人気1位)や現代自動車(2位)への就職を求める。電通は1→26位までランクダウンしたというのに。もちろん日韓の構造の違いはあれど、ここに韓国の改革機運の鈍さが見られるのである。

私は文在寅候補を応援している。それは単に国会運営の観点故だ。そして政経癒着根絶の機運も逃さないでほしい。

 

・中国ー第19回党大会に向けて

国内の安定が第一だろう。第一四半期の成長率は6.9%とやや上向いた。中国の内政は常に莫大な課題を抱えている。成長の維持、構造改革、雇用創出、農村&貧困問題、腐敗、不動産バブル、退役軍人etc. 外交は内政の延長にあり、今日はいつにも増して安定を必要とされている。米国が北朝鮮に対して緊張を高める中で、中国はアメリカに譲歩しているようにさえ感じる現状。そして大国間関係ではないが、中国が対米関係をかなり重要視していることが確認できた。

政府活動報告は安定重視・人民目線を意識した演説だった。例えば、青空防衛etc. 習近平総書記を核心とする党中央としては、今は事を穏健に進め、人事が固まった後、新たな施策・改革に乗り出す構えだろう。経済政策は政府がある程度作為できる、ただしそれ等が後々に大きなツケとして回ってくる可能性もあるが。

日本や欧米のメディア(TIMEやFinanicial times)は習近平総書記の独裁化を危惧しているが、個人的には栗戦書の説明もまた正しいと感じている。つまり、例えば、国有企業等が誇大化&石油財閥が力を及ぼす中で、動揺する権威を改めて確立したという指摘である。ある種、防御的になされたという「核心」という地位の確立でもあった。四つの全面を軸にした習近平思想なるものが規約化されるかに注目している。

ところで、年末、Next China 7の予想をしたが、他の予想を紹介しておきたい。雑誌「東亜」において、稲垣清は習近平李克強王岐山、汪洋、韓正、栗戦書、張春賢と予想している。確かなことは忘れたが「アジア時報」か別の雑誌で、習近平李克強王岐山、汪洋、李源潮、栗戦書、趙楽際という予想もあった(間違いがあれば訂正します)。高橋博は政治局常務委員9人への増員を予想している。

特に年末からの変化としては、胡春華孫政才の常委入りの可能性低下が挙げられる。個人の意見としては共産党の正統性維持のため、60後の政治家が少なくとも1人常委入りするはずだと思っている。共青団系の胡春華を後継者として確定させたくなければ、孫政才(または陳敏爾)も常委入りするはずだ。そして夏宝龍の異動先も注目ポイントだろう。

 

北朝鮮ーミサイルと核実験

所々で言われているように、アメリカはレッドラインを引くことが出来ないというのが本音だろう。ICBMや核弾頭の発射実験を行ったところで、アメリカが北朝鮮を攻撃できる可能性は低い。4月15日、日本社会はかなりの緊張感を保っていたが、北朝鮮が先制攻撃する可能性もそれこそゼロに近く、ましてや日本を標的にする可能性は考えにくい。それは自らを崩壊に導くことを表す。日本が危機をあおっているという韓国側の非難も一理ある。北朝鮮はほとぼりが冷めたころに核実験を行うだろう。米韓軍事演習は終わった。ティラーソン国務長官マティス国防長官は4月中旬から下旬にかけて中東・アフリカを外遊している。アメリカは中東情勢も改めて考えなくてはならない。

北朝鮮の直近2回のミサイル発射に失敗した。アメリカのサイバー攻撃説や失敗を装った可能性も指摘されている。トランプ大統領が「金正恩はsmartcookieだ」と述べたが、一連の出来事を見て、個人的には、金正恩は合理的な指導者である可能性が高いと考えるようになった。直近2回の実験は妥協だろう。彼個人は新年の辞で「ICBMは発射準備は最終段階にある」等と軍事面で挑発をしたが、その後発言を控えている。挑発的文言は、高官や機関誌によってなされたものばかりである。外交委員会の復活には誤魔化されない方が良いと感じたが、この事実は一種のシグナルとして捉えて良いのではないだろうか。

 

・イギリスー総選挙

ソフトブレキジットという目論見がEUの強硬姿勢によって潰れ、ハードブレキジットに路線変更を余儀なくされたイギリス。ここでテリーザ・メイは度々解散はないと言い続けてきたのにもかかわらず、解散を強行した(もちろん労働党が賛成に回ったので解散が可能になった)。この総選挙はハードブレキジットへと向かうイギリス政府及び保守党の団結力を高める効果を生みそうである。それにしてもメイ首相は狡猾だ。2020年の総選挙は保守党にとって厳しい戦いになることが予想された。ハードブレキジットの影響、構造改革による痛みによる成長の停滞は保守党にとって不利な材料となっただろう。しかし、現状は保守党にとって有利な条件が多い。労働党は内紛状態、UKIPの支持率は低下、EU離脱交渉という選挙の正統性は保守党を勝利に導くことが予想されている。保守党の勝利と共にEU離脱への道筋もまたクリアになっていくのではないか。

 

・フランスー大統領選挙

マクロンとルペンが決選投票に駒を進めた。気になったのは投票傾向である。それは地域主義、北東のルペン vs 南西のマクロン。都市部に強いマクロンと田舎に強いルペン。そして共和党社会党双方からルペンに票が流れたようだ。二大政党が没落した。フィヨンと金銭スキャンダルの罪は大きい。ジュペかサルコジだったらどのような結果だっただろう。マクロンは日本では中道と称されているが、実際は中道左派である。マクロンが勝利すると言われているが果たして。当選後の動向も追っていきたい。

 

参考文献リスト 50

日本

  1. 石川真澄山口二郎『戦後政治史』第3版(岩波新書、2010年)。
  2. 森本敏普天間の謎――基地返還問題迷走15年の総て』(海竜社、2010年)。
  3. 櫻澤誠『沖縄現代史――米軍統治、本土復帰から「オール沖縄」まで』(中公新書、2015年)。
  4. 五百旗頭薫他編『戦後日本の歴史認識』(東京大学出版会、2017年)。
  5. 鈴木美勝『日本の戦略外交』(ちくま新書、2017年)。

 

韓国

  1. 金泳三『金泳三回顧録――民主主義のための私の闘い』全3巻、尹今連監訳(九州通訳ガイド協会、2001~02年)。
  2. 木村幹『民主化の韓国政治――朴正煕と野党政治家たち 1961-1979』(名古屋大学出版会、2008年)。
  3. 金大中金大中自伝』全2巻、波佐場清、康宗徳訳(岩波書店、2011年)。
  4. 崔章集『民主化以後の韓国民主主義――起源と危機』磯崎典世他訳(岩波書店、2012年)。
  5. 大西裕『先進国・韓国の憂鬱』(中公新書、2014年)。
  6. 文京洙『新・韓国現代史』(岩波新書、2015年)。
  7. 国史事典編纂会 金容権編『朝鮮韓国近現代史事典』第4版(日本評論社、2015年)。
  8. 李泳采『アングリーヤングボーターズ――韓国若者たちの戦略的選択』(梨の木舎、2016年)。

 

北朝鮮

  1. 小此木政夫北朝鮮ハンドブック』(講談社、1997年)。
  2. 平井久志『北朝鮮の指導体制と後継――金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫、2011年)。
  3. ドン・オーバードーファー、ロバート・カーリン『二つのコリア――国際政治の中の朝鮮半島』菱木一美訳(共同通信社、2015年)。
  4. 斎藤直樹『北朝鮮「終りの始まり」――2001-2015』(論創社、2016年)。
  5. 玄成日『北朝鮮の国家戦略とパワーエリート』北朝鮮難民救援基金翻訳チーム訳(高木書房、2016年)。
  6. 磯崎敦仁、澤田克己『新版 北朝鮮入門――金正恩体制の政治・経済・社会・国際関係』(東洋経済新報社、2017年)。
  7. 金正恩金正恩著作集』全2巻(白峰社、2014年&2017年)。
  8. 坂井隆、平岩俊司『独裁国家北朝鮮の実像――核・ミサイル・金正恩体制』(朝日新聞出版、2017年)。

 

中国

  1. 楊中美、高橋博『中国指導者相関図』(蒼蒼社、2008年)。
  2. 趙紫陽他『趙紫陽極秘回想録――天安門事件「大弾圧」の舞台裏!』河野純治訳(光文社、2010年)。
  3. 田中修『2011~2015年の中国経済――第12次5カ年計画を読む』(蒼蒼社、2011年)。
  4. 高橋博21世紀中国総研編『中国最高指導者WHO’S WHO――2013-2018年版』(蒼蒼社、2013年)。
  5. デイビット・シャンボー『中国グローバル化の深層――「未完の大国」が世界を変える』加藤祐子訳(朝日新聞出版、2015年)。
  6. アンドリュー・J・ネイサン、アンドリュー・スコベル『中国安全保障全史――万里の長城無人の要塞』河野純治訳(みすず書房、2016年)。
  7. 胡鞍鋼中国の百年目標を実現する第13次五カ年計画』小森谷玲子訳(日本僑報社、2016年)。
  8. 青木俊一郎『朱鎔基総理の時代ーー改革開放の救世主 清正廉明』(桜美林大学北東アジア総合研究所、2017年)。
  9. 国分良成『中国政治からみた日中関係』(岩波現代新書、2017年)。
  10. 毛利和子『日中漂流』(岩波新書、2017年)。
  11. 谷野作太郎『中国・アジア外交秘話――あるチャイナバンドの回想』(東洋経済新報社、2017年)。

 

台湾

  1. 何義麟『台湾現代史――二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』(平凡社、2014年)。
  2. 井尻秀憲『激流に立つ台湾政治外交史』(ミネルヴァ書房、2013年)。
  3. 河原昌一郎『民主化後の台湾――その外交、国家観、ナショナリズム』(彩流社、2016年)。

 

香港

  1. 倉田徹、張彧暋『香港――中国と向き合う自由都市』(岩波新書、2015年)。
  2. 倉田徹『中国返還後の香港――「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会、2009年)。

 

国際政治

  1. 須藤季夫『国家の対外行動』(東京大学出版会、2007年)。
  2. 土山實男『安全保障の国際政治学』第2版(有斐閣、2014年)。
  3. 吉川直人、野口和彦『国際関係理論』第2版(勁草書房、2015年)。
  4. ジョセフ・S・ナイジュニア、デイヴィッド・A。ウェルチ『国際紛争ーー理論と歴史』第10版、田中明彦村田晃嗣訳(有斐閣、2017年)。

 

その他

  1. 大沼保昭、岸俊光編『慰安婦問題という問い――東大ゼミで「人間と歴史と社会」を考える(勁草書房、2007年)。
  2. 高原明生、服部龍二編『日中関係史――1972-2012 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2012年)。
  3. 木村幹『日韓歴史認識問題とは何か――歴史教科書・「慰安婦」・ポピュリズム』(ミネルヴァ書房、2014年)。
  4. 木宮正史編『朝鮮半島と東アジア』シリーズ 日本の安全保障 第6巻(岩波書店、2015年)。
  5. 木宮正史、李元徳編『日韓関係史――1965-2015 Ⅰ 政治』(東京大学出版会、2015年)。
  6. 服部龍二『外交ドキュメント 歴史認識』(岩波新書,2015年)。
  7. マーク・フィッツパトリック『日本・韓国・台湾は「核」を持つのか?』秋山勝訳(草思社、2016年)。
  8. 和田春樹『アジア女性基金慰安婦問題――回想と検証』(明石書店、2016年)。
  9. 羽場久美子編著『アジアの地域統合を考えるーー戦争をさけるために』(明石書店、2017年)。

 

日本 沖縄辺野古移設問題: 後編

f:id:unotama:20161229110353j:plain

出典:首相官邸 http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201504/17chiji.html

2016年3月4日、政府・沖縄県が、裁判所が提示した和解案を受け入れることで合意した時の握手。

 

④守屋防衛事務次官と「キャンプ・シュワブ陸上案」等々

米軍再編に伴って、海兵隊基地の本土移転が模索された。だが結局のところ、「沖縄の戦略的重要性」=抑止力維持のために在沖米軍基地並びに海兵隊基地は不可欠であると判断され、2005年5月、日米両政府は海兵隊基地の本土移転を見送ることを正式に決定した。

移設策に関する「白紙的検討」; 数多くの案が対象となった。

1) 辺野古案原案、2) 辺野古基地メガフロート案、3) 辺野古埋め立て縮小案(リーフ内浅瀬案)、4) キャンプ・シュワブ陸上案、5) 嘉手納統合案 etc. (*アメリカの提案ー1) キャンプ・シュワブ陸上案 2) 嘉手納弾薬庫案、3) 読谷補助飛行場案)

嘉手納統合案は度々議論される→棄却される移設案である。新規建設はヘリパッドのみであり、沖縄の負担軽減に貢献しているように見える。だが現実には、市街地に近い嘉手納への移転は事故・騒音問題の悪化を招くと予想された。さらに地元の強硬な反対が予想された。

政府内の検討の結果、2) 辺野古埋め立て縮小案(リーフ内浅瀬案) と 4) キャンプ・シュワブ陸上案に集約される。そして、小泉首相がシュワブ陸上案への一本化を指示するに至った; 守屋防衛事務次官の意向が大いに反映された結果、突き上げられた構想である。

シュワブ陸上案では以下のメリットがあった; はじめに、現行の辺野古沖案よりも工期を数年程度短縮できるーアセスメントの問題。次に、環境保護団体の抗議運動を抑制できる。最後に、既存のキャンプ・シュワブ敷地内での工事となれば、新たな施設提供は必要ない & 反対派は実力行使を抑制しやすい。しかし、以下のデメリットも考えられた; はじめに、地元(名護市等)の反対が大きい。次に、アメリカが反対しているー特に軍事合理性; 安全上・運営上の問題が発生しやすい。

守屋防衛事務次官キャンプ・シュワブ陸上案を強く主張した。町村外務大臣や細野官房長官は、辺野古埋め立て縮小案を支持していた。

岸本市長は、辺野古埋め立て縮小案なら受け入れる余地があるとしていた。

稲嶺知事は、陸上案・浅瀬案共に否定的な見解を示した。

 

⑤額賀防衛庁長官のスーパーマジックーL字案からV字案へ

2005年10月26日、日米両政府は基本合意に達した→29日の中間報告において「キャンプ・シュワブの海岸線の区域とこれに隣接する大浦湾の水域を結ぶL字型に普天間代替施設を設置する」ことが明記された。

これはいわば「辺野古埋め立て縮小案」と「キャンプ・シュワブ陸上案」の折衷案である。しかし、名護市沖縄県共に受け入れを拒否した。おそらく守屋防衛事務次官の意向もあったのだろう; ここから政府は沖縄に対して譲らない強硬路線を採ることになる。

2006年3月8日、名護市ー島袋吉和市長(岸本市長の後継)は「許容範囲」を提示; 事態の改善に歩み寄りの姿勢を見せた。そして19日から政府ー名護市間で協議が始まった。交渉は、額賀防衛庁長官 & 守屋防衛事務次官ー島袋市長 & 末松文信助役で行われた。合意の取り付けは一般的に難しいと考えられていたが、度重なる折衝と修正、防衛庁の土木技術専門家の努力により、4月7日、V字案「普天間飛行場代替施設の建設に係る基本合意書」で合意された; これはX字案からさらに微修正が加えられた案で、離着陸を分けて滑走路を2本作ることで住宅の上空を飛行することを避ける絶妙な構想だった。

政府と沖縄県は5月11日「在沖米軍再編に係る基本確認書」を取り交わした; 稲嶺知事は政府と名護市で合意された修正案に反対だった。「基本確認書」では、政府案を基本としながらも今後も協議を続けていくことが確認された。

f:id:unotama:20170401001517p:plain

出典:平成18年度 防衛白書 http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2006/2006/figindex.html

 

今日の辺野古基地移設問題の基礎であるV字案はこのようにして完成された。

遡って2006年5月1日、アメリカとV字案を基本とした移設で合意; 「2014年までの普天間飛行場の移設完了」が目標とされた。これに伴い、「普天間飛行場の移設に係る政府方針」(1999年12月)は廃止されることになった。

 

⑥鳩山政権ー県外移設の公約

小泉→安倍政権を経て、福田政権=対話路線へと移行した。この間、北部振興策=お金の問題、でひと悶着があり、小池百合子と守屋事務次官の攻防もあり、「現行のV字案には賛成しない」ことを公約にした仲井眞弘多が沖縄県知事に当選した。一方で、政府は反対派の強制排除も辞さない態度で環境現況調査とアセスメントの手続きを粛々と進めていた。そうした状況の中で起こった驚天動地なる出来事が、鳩山由紀夫を首班とした民主党政権の成立及び「県外移設」の表明である。

1) 鳩山政権の混乱

アクターがたくさんいた; 鳩山首相、平野官房長官、岡田外務大臣、北沢防衛大臣

鳩山首相ー「県外移設」を最後まで引っ張る(2009年9月~2010年5月)、「トラスト・ミー」、「腹案」→断念。

平野官房長官ー「ベターになるかもしれない」(2010年2月20日)事態が膠着した2010年3月頃から、ホワイトビーチの沖合埋め立て、徳之島を検討

岡田外務大臣ー当初は嘉手納統合案を重視→現行計画へと戻る「県外は事実上選択肢とは考えられない」(2009年10月23日)

北沢防衛大臣ー県外・国外は厳しい→現行案への理解「辺野古になっても民主党の公約に違反しているとはいえない」(2009年10月27日

閣内不一致とも呼べる状況から鳩山首相は「2010年5月末決着」を表明し、最終的には5月4日に「抑止力の観点から難しい」と県外移設の断念を表明。

5月28日、日米共同発表において、主旨として2006年5月1日のロードマップに戻ることが決まった。福島瑞穂消費者担当大臣を罷免した。

2) 沖縄の県民感情が燃え上がる

仲井眞知事は「本当にあんなことできると思うかね?」と疑問を呈していたと言われる; 「名護市が受け入れると言っている間に移したほうが現実的だ」と考えていた。

→実際に2010年1月の名護市長選挙で辺野古移設反対を掲げる稲嶺進が当選した。

鳩山政権の「県外移設」表明は沖縄の期待感を非常に高めた。

2月24日には県議会が全会一致で普天間の県外移設を求める決議を採択。

4月25日、読谷村の県内移設を求める県民大会では主催者発表で9万人が参加した。

一部朝日新聞より、「大きいものを生かすために小さいものを殺さないで。それができるのは鳩山さんだけ」「沖縄だけに押しつけるのはおかしいと、一時的にせよ鳩山さんは本気で考えていたはず。問題はそれに耳を貸さなかった日本市民」云々。

現在に至る、「沖縄の不満」は鳩山政権の迷走によって潜在意識から顕在意識へと昇華した。

 

⑦混乱の余韻ー計画の遅れ

計画の遅れはそう簡単に取り戻せるものではない; 2011年5月19日、北沢防衛相(菅政権)が2014年までの辺野古移設断念を表明した。

2012年2月8日、日米両政府は在日米軍再編の見直しを発表した; 「トータルパッケージ」普天間基地移設とグラム移転の切り離しについて議論することで合意した。

オスプレイの配置も問題になっている。2011年6月に政府は沖縄県オスプレイ配備を正式通達した。しかし、2012年4月にはモロッコ、6月にはフロリダ州で墜落を起こしており、防衛省は否定したが、安全性が心配された。そして、オスプレイの外見; 固定翼と回転翼の両機能を持つ故の特殊性は、それを見る沖縄県民に恐怖感を与え、9月9日に行われた県民大会では主催者発表10.1万人・県警推計2.5万人が集まった。オスプレイは10月1日、普天間に6基配備されている。

 

⑧安倍政権と仲井眞 & 翁長知事

2012年12月、自民党が大勝し、安倍晋三が総理大臣へと返り咲いた; 官房長官菅義偉である。

まず、安倍政権が動く。2013年4月5日、日米両政府は嘉手納基地以南にある施設・区域返還計画で合意した。ここで普天間返還は名護市辺野古への移設を条件とし「2022年度またはそれ以後」と明記された。

菅ー仲井眞の歯車が回り始めたのは2013年の夏頃であると回想されている。沖縄基地返還計画の日米合意では地元が強く要請していた商業的価値の高い南部の土地返還を重視した。沖縄振興予算は3000億円を大幅に上回り、他、沖縄の重要要請項目について真剣に取り合う姿勢を見せた。

日本政府としては仲井眞知事に埋め立てを承認してもらう必要があった。

そこで、2021年度まで3000億円以上の沖縄振興予算を確約し、地位協定改定の交渉開始(環境補足協定の締結)等の検討を約束した。これらを「驚くべき立派な内容」として仲井眞知事は評価→12月27日、辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。

埋め立て承認が決定打となったのだろうか; 県民は承認を公約違反であると非難した。2014年1月の1名護市長選挙では稲嶺進が再選、2014年11月、沖縄知事選挙で辺野古移設反対を掲げた翁長雄志が仲井眞弘多を大差で下した。

「埋め立て承認」と「岩礁破砕許可」、沖縄県知事が握る最大権限である。翁長新知事はそれらの取り消しに動く; 2015年1月、翁長知事が埋め立て承認に問題がなかったかを検証する「第三者委員会」を設置した。菅官房長官の「粛々」という言葉を「上から目線である」と反発し、10月13日、米軍新基地建設に伴う埋め立て承認を取り消した。

ここから政府と沖縄県は訴訟合戦に入る。計3つの訴訟が同時進行し互いの歩み寄りは全く見られなかった。2016年3月、訴訟は高等裁判所の和解案を両者が受け入れることで一時休止、しかし、話し合いは不調に終わり7月、政府が翁長知事を提訴、12月、最高裁は国の勝訴を確定させた。

 

現在、辺野古の工事は再開されている。岩礁破砕許可は3月31日をもって期限切れしたが、政府は知事の再許可を不要であると判断した。

政府は「2022年度またはそれ以後」の普天間基地の返還に向けて、急ピッチで移設工事を行っている; すでに現状数年の遅れがあるとされ、見通しは明るくない。安倍ー翁長間の信頼関係は全くないに等しく、今後も反目し合う状況が続くだろう。現状をいかにして打開するか、そもそも打開できるのか; 現実的に考えて何が最善なのか、本土の国民も沖縄県民も考える必要がある。そして政府・県レベルもそうであるが、民間レベルにおける交流をもっと増やしてほしい。

 

同記事は以下の参考文献に大きく依存しています。

森本敏普天間の謎――基地返還問題迷走15年の総て』(海竜社、2010年)。

守屋武昌『「普天間」交渉秘録』(新潮社、2010年)。

・竹中明洋『沖縄を売った男』(扶桑社、2017年)。

 

日本 沖縄辺野古移設問題: 前編

f:id:unotama:20170331210736g:plain

出典:沖縄県 基地対策課メインページ http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/25185.html

 

橋本・モンデール会談(1996年4月)とSACOの最終報告(1996年12月)から20年以上が経過した。しかし、本日の日経(3月26日)を見ると「辺野古対抗策、時期探る――沖縄知事、承認撤回を明言」とある。筆者は日本の安全保障の最も大きな問題としてこの"普天間基地移設問題と混乱"を認識している。そして見方次第ではあるが、日韓の対立よりも更に大きなギャップが本土と沖縄の間にあるのではないかと感じている。そこで普天間の返還と辺野古への移設を巡る迷走を筆者なりに整理してみようと思う。

前編では、沖縄国際大学ヘリ墜落と2005年SACO最終合意の見直しまで扱う。

 

①沖縄米兵少女暴行事件(1995年4月)~SACO最終合意(1996年12月2日)

1995年9月4日、沖縄本島北部において、キャンプ・ハンセンに駐留する米海兵隊3名による少女暴行事件が発生した:「沖縄米兵少女暴行事件」。日米地位協定の規定が被疑者である米兵の捜査に支障をきたし、抗議活動が頻発・反基地運動と連動、10月21日には宜野湾市で、事件に抗議する県民総決起大会が行われ、主催者発表で8万5000人もの県民が参加した。日本国内の反基地・反米世論の高まりが異常なステージまで発展し、日米政府は何らかのアクションを起こす必要に迫られていた。

10月24日、河野外相とモンデール駐日大使は、新たな協議の場を設置することで合意→沖縄に関する特別行動委員会: SACO(Special Action Commitee on Okinawa)が設置された。日本側のメンバーは折田外務省北米局長、秋山防衛庁防衛局長、米国側のメンバーはジョセフ・ナイ国防次官補、ウィンストン・ロード国務次官補とされた。11月20日に開催された第1回のSACO会合では上記のメンバーに加え、モンデール駐日大使、河野外相、衛藤防衛庁長官が加わり、米軍基地の整理・統合・縮小及び訓練・騒音・安全問題について具体策が検討されることになった; 期限は1年間、結果は両国の閣僚に報告されることが確認された。

元来、普天間飛行場の返還は沖縄の最優先課題ではない; 1993年、沖縄県が決定した「重要三事案」に普天間は含まれず、SACOにおいても当初は議題にも上らなかったという。しかし、「どこからか」出自不明の返還の可能性がささやかれ始め、1996年2月の日米首脳会談: 橋本ークリントンでは米国側のアシストもあり、普天間基地が言及されるまでに至った。3月、主にSACOの作業部会等で調整され、普天間返還の方針が決定された。

1996年4月12日、日本経済新聞の予期せぬスクープもあり、橋本龍太郎首相とモンデール駐日は共同記者会見を行い、「普天間基地の5~7年以内の全面返還」を発表した。15日、SACO中間報告において内容を再確認、16日、日米両首脳は「日米安全保障共同宣言」を発表した。普天間基地を代替施設を探して返還するという日米合意が出来た。運用の都合上、当初から候補地は、1) 嘉手納飛行場、2) 嘉手納弾薬地区、3) キャンプ・ハンセン、4) キャンプ・シュワブ 等、沖縄に絞られている。しかし、それぞれ在日米軍の反対、環境問題、地元の反対により計画は頓挫している。

そこで考え出されたのが、海上ヘリポート基地案である。9月の日米首脳会談では、海上基地案を最有力として検討を続けていくことで一致、1996年12月2日に提出されたSACO最終合意では、

1. 嘉手納統合案、キャンプ・シュワブを選択肢として保持しつつも

2. 海上施設案が、上記2案より優れており最善の選択であると判断される

と明記された。普天間基地返還の枠組みの基礎が形作られた。

 

②移設先を巡る迷走の始まり(1997年1月)~「代替施設の基本計画」策定(2002年7月)

1) 海上施設建設ー名護市 & 沖縄県に齟齬

1997年1月、梶山官房長官は、日米間でキャンプ・シュワブ沖での海上施設建設について合意が出来ていることを明らかにした。4月から海上ヘリポート設置に関する事前調査が始まる。

沖縄県ー大田知事が海上施設案を拒否(→名護市市民投票53%の反対)→正式に受け入れ拒否を表明、本土移設が解決策と要望

名護市ー住民に一部受け入れの姿勢、しかし反対多数(→名護市市民投票53%の反対)→受け入れの表明と比嘉市長の辞任→受け入れ派の岸本市長の誕生

沖縄県名護市には"ギャップ"があった。合意は政府が沖縄県民の頭越しで決定したと非難された。

2) 「海上施設案」の見直し

1998年11月、小渕首相; 就任して3ヶ月、は海上施設案の見直しを表明した。沖縄県からの要望を考慮して、沿岸部の埋め立て案も含め、再度検討することとした。

海上基地建設には高度の技術が必要とされ、沖縄の土木建設業界に利益にならないのである。

首相ー小渕恵三沖縄県知事ー稲嶺恵一、名護市長ー岸本建男

東村、キャンプ・シュワブ(陸上)、キャンプ・シュワブ沖埋め立て、与勝沖合埋め立て、等々様々な移設候補地が浮かび上がったが、最終的に名護市沿岸部が有力とされ、沖縄県や地元経済界は辺野古を最有力候補であることを示唆した。

→1999年11月、稲嶺知事は①軍民両用空港、②15年使用期限という条件を要請しつつも、移設候補地を名護市辺野古崎沿岸域(キャンプ・シュワブ水域内)とすることを正式に表明した。名護市に受け入れを要請し、岸本市長は容認した

→1999年12月、「普天間飛行場の移設に係る政府方針」が閣議決定された。

具体的に代替施設問題について国と県が協議する場として「代替施設協議会」が設けられた。2000年①8月、②10月上旬、③10月下旬、④11月、2001年⑤1月、⑥3月、⑦6月、⑧12月を経て

→2002年7月29日、第9回協議会で「普天間飛行場代替施設の基本計画について」合意された。「代替施設の建設は、埋立工法で行うものとする」と明記された。

すでに橋本ーモンデール合意から6年が経過していた。

f:id:unotama:20170331140102p:plain

出典:首相官邸 普天間飛行場代替施設に関する協議会ーー第9回代替施設協議会:代替施設基本計画主要事項に係る取扱い方針に基づく検討資料 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hutenma/dai9/9siryou1.pdf

 

③米軍再編と辺野古沖移設の見直しー振り出しに戻る

さて「環境影響評価(アセスメント)」を実施しましょう。しかし、この手続きを進める上で政府と沖縄県が対立した; 国と県どちらが事業主体となるのか。結局、1年以上揉めた後、国がアセスメントを行うことになった。さらに移設反対派による「海上座り込み」をはじめ様々な抗議運動によって、作業は中断・膠着状態を続けた。

首相ー小泉純一郎沖縄県知事ー稲嶺恵一、名護市長ー岸本建男

しびれを切らしたのはアメリカだ; 同時多発テロとそれに伴う米軍再編計画はもちろん在日米軍再編にも直結している。戦略レベルから普天間基地移設問題は再整理され、結果として「トータル・パッケージ」の一部として同問題は捉えられるようになっていた。それはつまり、普天間が動かなければ、再編自体の振興にも支障が出ることを意味した; 沖縄ーグアムーハワイ」という重層的な防衛線強化の上に普天間基地移設問題が乗った。

しかし、日本の国内問題に左右され計画は停滞。2004年2月、ローレス国防次官補代理等は日本に不満を表明し、具体的な打開策を求めた。日本側も危機感を強めていたと言われているが、辺野古沖移設が困難であることも認めざるを得ない状況となっていた。7月、日米審議官協議において、アメリカはSACO最終報告の見直しを申し入れる。同時点において既に日米の懸念はかなり高まっていた。

決定打を与えたのが、2004年7月13日に起こった沖縄国際大学米軍CH-53D大型ヘリ墜落事件である。沖縄では普天間基地の閉鎖を求めるムーブメントが起こる。

2005年に入り、政府は普天間基地移設について言及するようになった→3月28日、小泉首相はSACOの見直しを明言、同問題は振り出しに戻る。

 

北朝鮮 六者協議: 後編

後編では第四回六者協議以降を扱う。

 

③第四回六者協議ー大きな収穫(2005年7月26~8月7日・2005年9月13~19日)

六者協議のハイライトは間違いなく、第四回六者協議と共同声明にある。なぜなら、第五回以降、同会合は膠着状態を迎え、大した進展を見ぬまま萎んでしまったからだ。

当初、2004年9月に予定されていた第四回六者会合だが、2005年7月まで開催が遅れた。まず、北朝鮮が大統領選ウォッチングを決め込んだ; 次に、ライス&ブッシュによる金正日罵倒=「圧政の拠点」「圧政国家」発言があった。北朝鮮が公式では初めて核保有宣言をした。

2005年5月13日、6月6日の2回の米朝接触・折衝を経て7月下旬の六者協議再開が決まった。アメリカが北朝鮮主権国家として認め、侵攻の意思がないことを表明し、北朝鮮がそれを「圧政の前線基地」発言の撤回と解釈した。また、同時期に行われた金正日鄭東泳会談も大きな影響を及ぼした。北と南が核兵器放棄と200万キロワットの電力供給=コード名「安重根計画」で同意した。

首席代表一覧

中国:武大偉外務次官(議長)

アメリカ:クリストファー・ヒル国務次官補

北朝鮮:金桂寛外務次官

日本:佐々江賢一郎外務省アジア太洋州局長

韓国:宋旻淳外交通商部次官補

ロシア:アレクサンドル・アレクセーエフ外務次官

一次セッション(2005年7月26~8月7日)

主な争点は核放棄の範囲=HEUの扱い&原子力の平和利用。中国が数次にわたり草案を提示、北朝鮮以外の五か国は第4次草案で合意したが、北朝鮮軽水炉の供給を求め草案への同意を拒んだため、一時休会となった。

二次セッション(2005年9月13~19日)

北朝鮮の求める軽水炉の供給が鍵となった。中国が示した第5次草案は、全ての核兵器及び「既存の」核計画を放棄することを明記する代わりに、「適当な時期に」北朝鮮への軽水炉提供について議論を行うことが付け加えられた。アメリカは閉幕式に各国別声明を出し解釈について記録を行う事を条件に要求を取り下げた。最終的には部分的に修正された第6次草案で合意した。

  •  第4回六者会合に関する共同声明(外務省)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/ks_050919.html

1. 六者会合の目標は、平和的な方法による、朝鮮半島の検証可能な非核化であることを一致して再確認した。

北朝鮮は、すべての核兵器及び既存の核計画を放棄し、並びに、核兵器不拡散条約及びIAEA保障措置に早期に復帰することを約束した。

・アメリカは、朝鮮半島において核兵器を有せず、北朝鮮に対して核兵器又は通常兵器による攻撃・侵略を行う意図を有しないことを確認した。

北朝鮮は、原子力の平和的利用の権利を有する発言をし、他国はこの発言を尊重する旨述べ、適当な時期に、軽水炉提供問題について議論を行うことに合意した。

2. 六者は、その関係において、国連憲章の目的及び原則並びに国際関係について認められた規範を遵守することを約束した。

・日本・アメリカは国交を正常化するための措置をとることを約束した。

3. 六者は、エネルギー、貿易及び投資の分野における経済面の協力を、二国間又は多数国間で推進することを約束した

・韓国は、北朝鮮に対する200万キロワットの電力供給に関する提案を再確認した。

4. 六者は、北東アジア地域の永続的な平和と安定のための共同の努力を約束した。

5. 六者は、「約束対約束」「行動対行動」の原則に従い、調整された措置をとることに合意した。

6. 六者は、第五回六者会合を2005年11月初旬に開催することで合意した。

  •  閉幕式発言 by クリストファー・ヒル

軽水炉提供の「適当な時期」とは、北朝鮮核兵器と核放棄を放棄し、NPTに復帰・IAEAの査察を受け入れた後である。

・この共同声明は、北朝鮮の体制・人権等々受け入れることを意味しない

 

アメリカの閉幕式声明は実質「共同声明」を骨抜きにした。実質、強硬派の意見がすべて組み入れられた無効宣言だった。金桂寛は「全身で怒りを表し」即興でアメリカを強く非難した。共同声明採択は「2年以上に及ぶ六者協議が生んだ最も重要な成果」by 武大偉、であったが早々にほころびが露呈することとなった。

 

第五回六者協議ー無情な現実(一次セッション:2005年11月9~11日)

バンコ・デルタ・アジアの摘発と資金凍結は絶妙なタイミングだった; これは見せしめだろう。「新手の裏口絞殺アプローチ」という見方もある。諸外国に無言の圧力をかけ、北朝鮮の懐からえぐった。当然北朝鮮は非難した。作業部会の設置と工程表の策定が焦点だったが、何一つ進展がなかったと言える。北朝鮮は金融制裁を解除しない限りは、今後六者協議に参加しないと言った。日米は無条件の参加復帰を北朝鮮に要求した。これ以降、北朝鮮は暴走モードに入る。

⑤ミサイルと核実験

2006年7月5日の未明から夕方(現地時間)にかけて7基のミサイル(1基ーテポドン2号、3基ーノドン、2基ースカッド)が短時間の内に相次いで発射された。テポドン2号の発射実験は二段ロケット様式で行われたが、発射42秒後に自損し失敗に終わった; 一方でノドン・スカッドミサイルの実験には成功したと見られた。

ミサイル発射を受けて関係国は警告を強めていたが、2006年10月9日、北朝鮮は核実験を行った。当時、北朝鮮が保持する技術はあまり高くないと考えられていた; 核実験の実施は各国の想定を超えており、アメリカにとっては核移転という新しい懸念材料が大きな現実味を帯びてくる。

結果として、一連のミサイル発射と核実験はアメリカの政策転換を生み出した。アメリカの過去4年間における北朝鮮政策が失敗に終わったという事実が明らかになり、特に中間選挙における共和党の惨敗以降、ブッシュ政権への批判を強まった。強硬路線から柔軟路線への転換・ラムズフェルドボルトン等の退場; ブッシュ政権北朝鮮への圧力を緩め、直接協議にも応じる姿勢を見せるまでに至った。

 

⑥第五回六者協議ー初期段階の措置で合意(三次セッション:2007年2月8~13日)

この頃になると、ブッシュ政権のレガシー作りも考慮に入れる必要がある。

  • 共同声明の実施のための初期段階の措置

北朝鮮

1. 寧辺の核関連施設を60日以内に停止・封印

2. IAEA査察団の受け入れ

3. すべての核計画一覧について協議

アメリカ側

1. 国交正常化のための直接協議を開始

2. テロ支援国家指定の解除する作業を開始

3. 敵国通商法の適用を終了する作業を開始

重油5万トン相当のエネルギー支援を実行

日本は、国交を正常化するための措置をとるため二国間の協議を開始することを約束。

 

関係諸国は寧辺の核関連施設を60日以内に停止・封印する見返りに、重油5万トン相当のエネルギー支援を実行するなど、核廃棄に向けた「初期段階の措置」を盛り込んだ合意文書を採択した。日本は拉致問題という特有の問題を抱えているおり、日本以外の四ヵ国が支援負担を行うことになった。他、5つの作業部会(米朝国交正常化、日朝国交正常化、経済・エネルギー交渉、北東アジアの平和・安全メカニズム、朝鮮半島の非核化)の設置が決まった。

アメリカは 1) テロ支援国家指定の解除作業の開始、2) 高濃縮ウランへの言及を控える、等従来に比べて大きな譲歩をした。

 

⑦第六回六者協議(2007年3月19~22日・2007年9月27~30日)

「初期段階の措置」履行は金融制裁の凍結解除と約2500万ドルの送金確認のため一時停止、北朝鮮は席を蹴り、第六回六者協議一次セッションは休会に追い込まれた。

ロシアの民間銀行への資金が送金される運びとなり、金正日は核施設の稼働停止を宣言→IAEAによって稼働停止が確認され、「初期段階の措置」合意の履行は確認された。

よって、協議は「第2段階の措置」へと移行した。

事前に六者協議首席代表会合で争点の論議が行われたため、第六回六者協議二次セッションでは工程表の作成への道筋を作ることに成功し、合意文書案が各国政府の承認を得て同協議後の10月3日、正式に発表された。

  • 共同声明の実施のための第二段階の措置(外務省)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/6kaigo/6kaigo6_2kjs.html

北朝鮮

1. 2007年12月31日までに寧辺の原子炉・再処理工場・核燃料棒製造施設の無能力化を完了させる。

2. 2007年12月31日までにすべての核計画の完全かつ正確な申告を行う。

3. 核物質、技術及びノウハウを移転しないとの約束を再確認。

アメリカ側

1. 寧辺の原子炉等の無能力化ーテロ支援国家指定を解除&対敵通商法の適用を終了、を並行してコミットメント

2. 合わせて国交正常化するための措置を引き続きとることを約束

+ 重油100万トン(既に供給された10万トンを含む)に相当する規模を限度とする経済、エネルギー及び人道支援の提供

日本は引き続き国交正常化に努力するとされた。

 

問題は"順序"だった; 無能力化が先なのか、エネルギー支援が先なのか、それともテロ支援国家しての解除が先なのか曖昧な表現にとどまった。そしてそれらは合意の履行に支障をきたすことになった。

 

⑧六者協議のはかない夢ー北朝鮮の離脱

六者協議と関係諸国は「第二段階の措置」履行に失敗した; 北朝鮮重油が届かないとして無能力化を停止→履行の期限切れ→テロ支援国家指定を解除&対敵通商法の適用を終了する意向を明らかに→核計画の申告書を提出→検証手続きに関してアメリカと北朝鮮が対立→‥‥‥

同時期、金正日の健康問題も表面化していた; 2008年8月、脳卒中で倒れた。

2009年4月5日、北朝鮮は「人工衛星」と称するロケットを打ち上げる。4月14日、北朝鮮安保理の議長声明に反発し、核兵器開発の再開と六者協議からの離脱を表明した。

2009年5月2日、北朝鮮は2回目の核実験を行った。

以後、六者協議はその役割を果たすことが出来なくなっていった。

‥‥‥

 

以上、六者協議(2003~2007年)のまとめである。

六者協議に関しては事柄がまだ新しいこともあり、資料等の公開が進んでいない。細かいやりとりや駆け引きが必ずしも供述されている訳ではないが、ジャーナリストの記録が理解の最大の手助けとなる。

 

同記事は以下の参考文献に大きく依存しています。

船橋洋一『ザ・ペニンシュラ・クエスチョンーー朝鮮半島第二次核危機』(朝日新聞出版、2006年)。

・斎藤直樹『北朝鮮ーー「終わりの始まり」2001-2015』(論創社、2016年)。

・ドン・オーバードーファー、ロバート・カーリン『二つのコリア――国際政治の中の朝鮮半島』菱木一美訳(共同通信社、2015年)。

・寺林裕介『北朝鮮の核開発問題と六者会合(上)ーー北東アジアにおける多国間枠組みの形成』http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2006pdf/2006070773.pdf#search=%27%E5%85%AD%E8%80%85%E5%8D%94%E8%AD%B0+%E5%8F%82%E8%AD%B0%E9%99%A2%27 (最終アクセス:2017年3月30日)。

・寺林裕介『北朝鮮の核開発問題と六者会合(下)ーー多面的機能を持ち始める六者会合の可能性』。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2006pdf/20060901088.pdf#search=%27%E5%85%AD%E8%80%85%E5%8D%94%E8%AD%B0+%E5%8F%82%E8%AD%B0%E9%99%A2%27 (最終アクセス:2017年3月30日)。